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桜町商店街青年部 8月の風景

八月とスイカ   五十嵐慧・鷹野未来



 




「……めちゃくちゃ……暑いなっ!!」

 額に浮かんだ汗を拭いながら、鷹野未来が、叫ぶように言う。

「そりゃ、とーぜんだろ。ここ、風呂なんだから……てか、未来は、休んでろよ。……その、明け方まで、ちょっと、無理したし……」

 語尾がごちょごちょと小さくなっていくのは、明け方まで親密な時間を過ごしたからだ。

「べっつに、そんなに気を遣われることじゃないだろ。それに、ストレスは解消出来たって言うか……」

 対する未来のほうも、顔を赤くしながらごちゃごちゃとなにやら呟いている。

「なんだよ、それ、ストレスって」

「……お前と一緒に居たら、吹き飛ぶ系のヤツだから……それより、二人でやった方が早いんだから」

 それはそうなんだけど、と五十嵐慧は口ごもる。明け方まで、無理をした。その上、仕事を手伝って貰うのは忍びない。

 慧は、桜町商店街のほぼ真ん中にある、銭湯・『小狸の湯』の店主だ。

 先月二十三歳になったばかりの慧だったが、祖父から引き継いで、銭湯を経営する傍ら、銭湯の二階にクラブ『クラブ・ラクーン』を作り、そこでDJもしている。朝から晩まで働いていると言って過言ではない。

 朝は七時から朝風呂の営業。それが終わってから、一度清掃を入れて、夕方の営業、夜はクラブの営業……となると、慧は休む暇もない。

「俺は、慧が倒れないか、心配だけど?」

「俺だって、未来が心配で……」

 顔を見合わせ合って、思わず笑ってしまった。

 お互い、心配しあっているだけなのだ。

「じゃ、やっぱり、二人で手分けした方が早いと思うよ。……あと、ラクーンか、小狸か、どっちかには、人を入れなよ」

「まあ、それはそうなんだけどさ……」

 慧が口ごもる。人を入れると言うことは、人件費が掛かると言うことだ。つまり、費用が掛かる。今でも、潤沢な利益が出ているという訳ではない状況で、毎日毎日、燃料費も、電気代も上がっていくのでやはり、切り詰められるところは、切り詰めておきたい。そして、その上、銭湯は、『公衆浴場』の意味合いもあるので、勝手に価格改定出来ないというジレンマもある。

「慧が頑張れば良いって考えかも知れないけどさ……慧が倒れたら、それで終わりなんだから」

「まあ、解ってる」

「解ってないって。……身内とかに、倒れられるの、本当にしんどいんだからさ」

 未来の言葉を聞いて、慧は押し黙る。

 この前の冬。

 未来の父親は、自宅で倒れた。桜町商店街の青果店、『鷹野青果店』の明るい店主だった、未来の父は、今は、もう店に立つことも出来ず、歩行には杖が必要で、週に三回、リハビリにも通わなければならない。未来は、一般企業に勤めるサラリーマンだ。だが、なんとかして、サラリーマンと青果店を両立させる方向を模索中だ。

 そんな経緯もあって、健康には、人一倍、注意しているのだろう。

「……お前がいるのに、倒れられるかよ」

 小さく呟いてから、慧は、そっと未来の頬にキスをする。

「ちょっと!」

 誰かが見ていたらどうするんだ、と言いたくなったが、慧は「栄養補給。よーし、これからは、引退した、じいさんの力とかも、少し借りることにする。それから、バイトとか、なにか考える……で、オッケー?」と言って笑う。

「まあ、それなら」

「お前も、社畜街道まっしぐらだから気をつけろよ? 残業多いんだろ」

 言い返されて、ぐうの音も出なかった。





 朝風呂をやめれば。少しはラクになる。

 けれど、地域の銭湯としては、毎朝これを楽しみにして通ってくれるお客さんたちを、裏切れない。

 掃除も倍になる。手間は掛かる。

 喜んでくれるのは嬉しい。けれど、それに、経済が追いついていかない。

 毎日笑顔で仕事をしていても、時々、無性に、廃業が怖くなることもある。

「よーしっ、こっち終わったぞ。手桶まで、ピカピカにしたぞ!」

 汗を流しながら、手伝ってくれた未来が声を上げる。

「うわっ、ホントだ。綺麗……すげーな……俺の方、まだ、終わんない」

 脱衣所と浴槽を担当していたのだから、当たり前だろう。未来は、洗い場やその他の床などだった。

「まー、俺は先に休憩させて貰うからさ」

「あっ、それなら、そうして。冷房の所で休んでてよ」

「おー」

 未来の生返事を聞きながら、慧は、よっしゃっ! と気合いを入れ直して、浴槽の掃除を再開した。

 洗い場は、未来が綺麗にしてくれた。その分、浴槽もしっかり綺麗にする。脱衣場に戻って、細かい所を見直すと、もう一度床を掃除したくなって、モップを引っ張り出してくる。気になるととめられない性格なのも、悪いかも知れない。

「ちょっとー、慧。まだ掃除してんの?」

「えっ?」

 声を掛けられて慧は顔を上げる。入り口の所に、未来の姿があった。しかも、手にした盆の上には、沢山のスイカが載っている。

「えっ、なにそのスイカ」

「ああ。……いろいろ考えてて、農家さんとお話ししてるんだけど、そしたら、スイカ持ってきてくれたんだよ」

 大きくて真っ赤な、立派なスイカだった。

「すっげー、俺、しばらく、スイカなんか食べてないよ?」

「まあ、俺もだね……おじさんたちも誘ったから、冷たいうちに食べようよ」

「おうっ! すぐ行くっ!」

 大急ぎで掃除を終わりにして、慧は、未来の待つ居間へと向かう。

 慧の両親と、祖父母、それに未来と慧。昔から、変わらない面々だが、慧と未来が恋人同士になったと聞いたら、さぞや驚くだろう。

 皆は一足先にスイカを食べていた。

「あっ、待っててくれなかったのかよっ!」

「そりゃ待たないよ。沢山持ってきてくれたんだから、そんなに目くじら立てなくても良いだろ」

 はは、と未来の父親は笑う。

「ま、そうだけどさ……」

「はいはい。慧はこれね。特別甘いところを用意しておいたから」

 未来が真っ赤なスイカの一切れを差し出してくれる。三角形の形に切られている。五十嵐家は、いつも、笑った口みたいな半月に切るので、この切り方は新鮮だった。きっと、日本全国のそれぞれの家庭で、それぞれの切り方があるのだろう。

「あっ、甘いっ! 凄い美味いな、これっ!」

「農家さんも喜ぶよ」

 未来が笑う。その笑顔をまぶしく思いながら、慧は、当たり前のように側に居る、未来の存在をありがたいなと、実感していた。





 八月とスイカ・了