桜町商店街青年部 5月の風景
『五月の掃除』 岸谷貴啓&猫島玲央

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不動産屋の仕事としては、物件の斡旋というのもあるが、委託されている物件の『管理』というのも入ってくる。
そして、わりとこれが大変な仕事だった。なにせ、物件数が多いし、頻繁に入居者から連絡が入る。今日は、敷地に雑草が生えて困っていると言うことで、除草作業に向かわなければならなかった。
冬が終わり、五月といえば春から夏に掛かるシーズンで、雑草は、それはにょきにょきと元気に生長していくのだ。
「……すみませんね。事務仕事だけ、とお願いしていたのに」
申し訳なさそうに岸谷が言うのに「大丈夫っスよ。なかなか、こういうアパートの掃除とかも体験出来ないっすからね! ……異世界でアパートの管理人になる小説書くときに役立ちそうです。……意外に良い気がするなあ……」
小さく呟きつつ、猫島怜央は黙々と、竹箒を動かしている。
アパートの周りに、除草剤を撒いて、ゴミを取り、箒で掃いていく。そのついでに、アパートの様子を見ていく。
「あっ、岸谷さん。これ……ちょっと危ないっス」
怜央が指さす。階段の手すりのところが、斜めになってグラついていた。どうやら、金具が、緩んでいるらしい。
「危ないですね。ちょっと待って。応急処置」
岸谷が車に戻って工具箱を取ってくる。手すりと階段を結ぶ金具が、緩んでいる。それをドライバーで締め直すと、手すりのグラつきはなくなった。
「うん、直ったよ……ありがとう。見落としてた」
岸谷が、柔らかく微笑む。怜央より随分年上の岸谷が微笑むと、そのたびに怜央はドキッと胸が跳ねる。
岸谷とは、同居している上、恋人でもあるのに、まだ、岸谷が不意に見せる柔らかな笑顔には慣れない。
「よ、良かったよ……。お客さん、怪我したら、大変だし」
動揺をごまかしたくて、忙しなく、怜央は竹箒を動かす。
「……怜央。ゴミ、どこか行っちゃったけど?」
「えっ!? ああ……っ、うん、そう、だね……」
箒を乱雑に動かしていたせいで、せっかく集めたゴミが、どこかへ行ってしまった。
「……怜央は、なかなか、俺に慣れないよね?」
「っ……岸谷さんが……余裕過ぎるんだよっ!」
「そうかなあ。まあ、いつまでも新鮮な気持ちで居られるから良いけど」
ははっと、岸谷は笑う。
付き合い始めてから、岸谷の笑顔を見る機会が、増えた。それは、岸谷が、怜央に心を開いてくれている証だと言うことは理解して居るが……。それでも、岸谷の笑顔を見る度に、ドキッとしてしまう怜央が居る。
「……岸谷さん、……面白がってません?」
「そんなことはないよ」
岸谷が笑う。
「そうかなあ……なんか、いつも、子供扱いされているって言うか……あしらわれてる感じがするんだよなあ……」
怜央は、そう呟いて、むくれた。
年齢差は埋めようがないし、仕方がないのかも知れないが……。
時折、年下扱いすることについては、怜央は、少々不満がある。
「あしらってないよ。俺の方が、振り回されているだけ」
岸谷の微苦笑を見て、怜央は(えっ?)と思った。岸谷は、大人だ。怜央も年齢的には、成人しているが、精神的に、もっと大人ということだ。だから、何をしても、あしらわれているというか、岸谷の手のひらの上、と思っている部分はあるのだが……。
「……怜央は、自覚がないから、厄介だよね。俺は、振り回されてばかりだよ」
肩をすくめた岸谷は、少し困ったような顔をしていて、怜央は、少し焦る。
「あっ、そうだ!」
このまま、この会話を続けていたくなくて、怜央は声を上げた。
「なんです?」
「……渉が、和菓子持ってきてくれたんだった」
「和菓子?」
岸谷は、オウム返しに聞き返す。渉―――鐘崎渉は、洋品店のカネマルの息子で、今は、インターネットで様々な仕事をしながら、平沼のビストロでアルバイトをしている。何故か、怜央と虎太郎の猫島兄弟のことを、尻に敷いているのだが……。
「うん。渉は、和菓子は美しいから、残さなければならないって言って……結構、和菓子の『弥櫻』で買ってきた和菓子をくれるんだよね」
「へぇ……」
美しいものが好き、というのは、渉の普段の格好を見ていれば解るのだが、それが、和菓子屋にまで及ぶとは思わなかった。
「……柏餅だって。季節的に丁度良いよね」
「柏餅ですか。それは良いですね」
「こしあん、粒あん、味噌の三種類ずつ持ってきてくれたってさ」
「味比べが出来るね」
楽しみだ、と岸谷は小さく呟いて「……じゃあ、ゴミを回収して……、事務所に戻って休憩しようか」と提案すると、怜央が「うん、そうしよう」と言って、すぐにゴミの片付けを始めた。
鐘崎渉の持参した『柏餅』が、十五個もあって、その消費に苦労したのは、また、別の話だ。
了