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桜町商店街青年部 2月の風景

『スイートバレンタインデー』   入江栞・杉山勲


 




 あれを『恋人』と呼んで良いものか、甚だ不明ではあったが、身体の関係を持ったというのは確かだ。
 そして、そういう関係になってから、初めての『バレンタインデー』ということで、杉山勲は、少々緊張と恥じらいもありつつも、支度をしておいた。といっても、舎弟の天空(シエル)を使いにやって、桜町商店街にあるパティスリーでチョコレートのギフトを買っただけだが。
 心底、この時の判断を、杉山は悔いていた。
 というのも、粗忽なことで有名な天空(シエル)は、

『聞いて下さいよっ! 杉山のアニキ、入江のアニキにバレンタインデーのチョコ用意したンっスよ!!』

 と組事務所内、大声で喧伝して回ったのだった。
 おかげで『へー、杉山さんねぇ』『あの、飴屋のにーさんですよねェ』などと生暖かい目で見られるハメになった。
『ところで、アニキ、入江のアニキと付き合ってンすか? アニキのほうが、女役っスかね?』
 などと聞いてきたものだから、とりあえず、ワンパンで沈めておいた。
 このまま山奥のダムへ連れて行って沈めてやろうかなどと、本気で考えたものである。


(付き合ってる……は、良くわからねぇんだよなあ)
 とは杉山自身も思う。少なくとも、中学生ではあるまいし『付き合って下さい』『はい』というあの一連の儀式などを経なくても、恋人同士になるのは理解する……が、それにしても、よく解らない。
(そもそも、食えねぇヤツだしなぁ)
 からかわれていることが多いのは理解している。そして、割と、杉山は集中攻撃を受けているのもわかっている。
 入江なりの親愛の示し方―――なのだろうが。
 ともかく、杉山は、チョコレートを片手に、入江の店へ向かったのだった。


 今は、杉山のような『反社』の人間が、気軽に店に出入りするのは良くない、というのは理解しているが、一部の店は、出入りが暗黙的に許されているような感じがある。それでも、スナックへは出入りしても、居酒屋などには出入りしない。ファミレスやファストフードはこの町にはないが、あったとしたら少なくとも、部屋着で来る。スーツで髪をセットした状態では出入りはしない。
「おーい、飴屋。いるか?」
 店に入ると、パートの小柳と目があった。
「あ、杉山さん、こんにちは。……店長なら居ますよ。お呼びしますね」
「すまんな、忙しいところ」
「いえ、今日はきっと来ると仰っていたので」
 チョコレートを持って、ここにくるというのがバレているのだとしたら、少し悔しくなる。入江は杉山よりかなり年下だが、どうも、手玉に取られている感が拭えない。
「あっ、杉山さんだ。ハッピーバレンタイン!!」
 明るく言いながら、奥から入江が出てくる。
「ハロウィンじゃねぇんだよ……ったく」
「うん。ちょっと、外出ようか。散歩」
「まあ、良いが……」
 なんにもネェだろ、桜町。という言葉は、すんでのところで飲み込んだ。
 実際、杉山が出入り出来るのは、スナックぐらいだ。
 杉山の組の、組長が、スナックのママと昔なじみらしく、今でも出入りを許されているような状況だ。まあ、いいか、と思いながら、杉山はチョコレートの箱を無造作に、入江に渡した。
「ほらよ。バレンタインデー」
「うん、ありがとー。天空(シエル)くんが、小鳥さんの所で予約して来たって言ってたよ。だから楽しみにしてたんだ~。小鳥さんのチョコレート、食べる機会、あんまりないからね」
 にこっと入江は笑う。小鳥さんは、パティシエの名前だ。しかし、(あのヤロー……)と舎弟の天空に対する、怒りがこみ上げてきたのは否めない。
「僕も、杉山さんにバレンタインデー用意してきたんだ。ハイ。これ。……ちゃんと、僕の手作りで、お店には出さないやつだからね!」
 言いながら渡してきたのは、ハートの形をしたロリポップ・キャンディだった。
「おう……」
 確かに一度くらい、入江の作った飴というのは食べてみたかった。けれど、それは『今』ではないような気もする。
 やはり、バレンタインデーというからには、チョコレートを食べたいと思うのが人情だろう。
「あとさ、今日、杉山さん、誕生日でしょ? だから、一緒にディナーしようね~。一応、デートコースとしては、ビストロに行って、バレンタインデーのコースを食べてから、僕の部屋でゆっくり過ごすってカンジで」
「デートって、お前も店は良いのかよ」
「うん、任せてきたから大丈夫。……ビストロより、お部屋デートのが良かった?」
 勝手なことばかり言う入江に、杉山は溜息を吐く。
「どっちでもいいよ」
「それって不誠実な言葉だよねぇ」
「い、いやっ! ……その、オレが、ビストロとか出入りして良いのかよ」
「うん。一応、大丈夫。目立たない席にしてもらったから」
「そういうことなら、楽しみにしてるよ」
 それにしても、チョコレートは惜しかったけどな、という気持ちにはなりつつ、杉山は言葉を引っ込める。
「やっぱり、いろんな所に一緒に行きたいよねぇ」
 入江が小さく何かを呟いた気がするが、杉山には聞こえなかった。


 後日、後生大事に取っておいたロリポップ・キャンディを食べた杉山は、頬が緩むのを止められなかった。
 ただのハートの形をしたロリポップ・キャンディに見えたが、中は、チョコレートが入っている。
「ったく……素直じゃねぇなあ」
 一日中、顔のにやけが止まらなかった杉山は、舎弟の天空(シエル)にはからかわれ、組長や若頭からは怒鳴られるという、散々に一日になったのだった。