【試し読み】酷くされるの好きですか? 1

酷くされるの好きですか? 1

ドSな彼氏シリーズ

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 華やかなネオンが光る歓楽街。看板には怪しげな店名やサービスが掲げられ、客を呼び込んでいる。強引な客引きに、料金形態の胡散臭い店。明らかにヤバそうな店もあるのに、何故か客の足が向かうのを見ていると、誘蛾灯に惹かれる虫のように思えてならない。
 俺はドクドクと鳴る胸を押さえ、ゴクリと喉を鳴らした。
(落ち着け。この街には何度も来てるだろう。通りを一本変えるだけだ。そんなに大きく変わったりしないさ)
 仕事や付き合いで、クラブやバーには来たことがある。性的なサービスは受けたことがないが、恐れるような場所じゃないと知っている。
 心臓が早鐘を打つ。指先が震える。視線が怖い。
 緊張しながら、ようやく通りを抜け、一本中に入った通りを見上げた。先ほどまでの歓楽街と似ている。けれど明らかに、通りを行く人の雰囲気が変わった。
 思わず立ち止まってしまい、通行人の値踏みするような視線に絡まれる。ねっとりした視線は、毛穴まで確認するほど俺を観察してくる。
 視線が痛い。心臓が痛い。
(店に着けば)
 焦りながら、道を急ぐ。居心地の悪さの原因は通行人の視線だ。普段は性の対象と見られないはずなのに、ここでは違う。男が男を性的な意味を込めて値踏みしてくる。店の看板はゲイバーやゲイ向けの風俗が増えた。女性の客は殆どいない。ここは、マイノリティが集まる街だ。
 今すぐ元の通りに駆け込みたい欲求を押さえつけ、道を歩く。店に着けば大丈夫だ。ネットのクチコミで評判がよかったバー。初心者向けという謳い文句に惹かれて店を決めた。道は複雑だが、看板は解りやすいと書かれていた。キョロキョロと辺りを見回しながら店を探す。
 しばらくそうやって店を探していると、不意に男から声を掛けられた。筋肉質な身体つきの、厳つい顔をした男だった。整えられた髭と日焼けした顔。イメージの中にあるゲイそのままの男だった。
「よう兄さん。この辺じゃ見ないね。もしかして初めて?」
「っ、と、その」
 そうだとも違うとも言えず、しどろもどろになる。男が気安げに肩に触れた。
「もう店、決まってンの? 良かったら良い店あるけど一緒にどうよ。兄さんならモテるよきっと」
 客引きなのかナンパなのか判然としない。いずれにしても、俺はこういう誘いに不馴れだった。動揺して混乱する隙を、男が腕を強引に引っ張る。
「ホラ、おいでよ。優しくしてやるから」
「っ!」
 恐怖心がゾクリと背筋を撫でる。振り払おうと腕を上げると、運悪く男の頬に当たってしまった。
「いてっ! テメぇ。優しくしてりゃ!」
「すっ、すみま」
 威圧的な声に、ビクッと肩を震わせる。胸倉を捕まれ凄まれた。咄嗟に言い返せれば良かったのかも知れない。不馴れな場所だったせいか、反応が遅れた。
(ヤバい)
 絡まれるのを怖がっていて絡まれた。最悪だ
 血の気が引いて黙ってしまった俺を、男は舌舐りするようにニヤリと笑った。
「謝罪する必要はないですよ」
 突如、背後から涼やかな声が聞こえた。驚いて顔を向ける。男もその声に顔をあげた。
 長身の、痩せた男性が立っていた。厳つい男に比べると、吹けば飛びそうな印象がある。感情の読めない淡々とした様子で、こちらを見ていた。
「あんだ、テメぇ!」
「面倒を起こすと、街にいられなくなりますよ。それは本意じゃないでしょう」
「ああ? 何言って―――」
 男性に突っかかろうとして、男はハッとしたように表情を変えた。
「チッ……。言っておくが、俺はこの街のルールを教えてやろうとしただけだからな」
「では、その役目は僕が引き継ぎましょう」
 男性の一言に、男は不満そうにしながら引き下がっていった。唖然とする俺に、男性は「もう大丈夫ですよ」と薄く笑う。
「あ、その、どうも……」
「いえ。よろしければ、少しその公園でお話ししませんか。コーヒー、奢りますよ」
 自販機を指差しながら、男性が言う。多分、俺が震えていたからそう言ったのだろう。人目のある場所なら怖くないだろうと、配慮してくれたのだ。
 小さく頷き、男性の後に続く。目当ての店に行く気力は、既になかった。


   ◆   ◆   ◆


 ベンチに寄りかかってコーヒーを啜っていると、ようやく落ち着いてきた。まさか、いきなりあんな目に遇うなんて。
「間違って入ってきた―――わけではなさそうですね」
「あはは……。ええ。一応は」
 空笑いを浮かべ、曖昧に返事する。この場所が『そう』であることは有名だ。この場所を目指し、行き場のない者たちが集まってくる。だからこそ、怖かったのだが。
「かといって、冷やかしでもなさそうだ。決心して来たという風情ですが、合っています?」
「……ええ。俺は長年、自分は異性愛者だと思っていて……。でも、もしかしたらと……」
 初対面の相手に、何を言っているんだろうか。男性は感情の起伏が少ないのか、相変わらず淡々としている。その様子が、話しやすかったもかも知れない。
「ここに来れば、解るかも知れないって……」
 呟いた俺に、男性の腕が伸びた。頬に、甲が触れる。どくん、と心臓が鳴った。
「解りそうですか?」
「っ、その、いや……」
 ドキドキ鳴る心臓に、動揺して視線を逸らす。こんな場所に居るのだ。彼もまた、こちら側の人間なのだろう。そう思うと、指が、首筋が、途端に危うい色香を放っているように思えてならなかった。
「ふむ。でも、出会いを求めに行くのは、止めておいた方が良さそうですね」
 そう言って、男性は俺の足元を見た。意識して居なかったが、脚がまだ震えている。気恥ずかしさに、顔が赤くなった。あんなことくらいで。
「しかし、このまま表通りにお送りして、二度とこの場所に来られなくなるのも寂しいですね。ここは、入ってしまえば懐が大きく、呼吸を楽にしてくれる場所でもあります。特に、貴方のような人には」
 紡がれる言葉を聞きながら、唇を凝視していた。薄い唇。心地よい声。
「試しに―――僕と寝てみますか?」
「―――は?」
「これも何かの縁なので」
 男性の提案に、頭の中が混乱して、どう返事をすれば良いか解らなくなっていた。



 体の良いナンパかもしれない。優しくしておいて、本当は酷いことをするつもりかも知れない。
 色々と頭を巡ったのに、結局俺は男性とホテルに来てしまった。サラリーマン二人で入るのに、なんの違和感もないビジネスホテル。お陰で、変に気負わなくて済む。男性のシャワーを待つ間、手持ち無沙汰で挙動不審になる。シャワーで火照った身体が熱い。バスローブを脱いでしまおうか。
 不意に、サイドテーブルに置かれた本が目に入った。俺がシャワーを使っている間、男性が読んでいたのだと思う。詰め将棋の本だった。
(将棋……)
 地味な本を読んでいる。将棋のことは、なんとなくしか解らない。
 手を伸ばし掛けたところで、男性がシャワーから出てきた。バスローブを羽織った姿に、ドキリとする。サラサラの髪から、雫が垂れている。目があって、緊張と共に心臓が跳び跳ねた。男性の瞳は「逃げなかったんですね」と語っている。
 そうだ。俺は逃げなかった。いくらでもやめられる。男性は俺が逃げるタイミングを作ってくれている。けど、逃げなかった。
 不思議と、彼のことは怖くなかった。どこか懐かしいような雰囲気を感じる彼になら、任せても良いような気になった。
「隣、良いですか?」
「あっ、はい……」
 男性がすぐ隣に腰掛ける。ベッドが沈んで、軽く揺れた。緊張して固く握った手を、彼の手が包む。ドクン、心臓が鳴る。
「緊張していますね。僕もです」
「そう、ですか?」
 男性は穏やかで、緊張とは無縁に思えた。指先は冷たく、しっとりとしている。指が絡まり、ぐにぐにと握り込められる。
「していますよ。僕も、初めてなので」
「ふはっ」
 思わず、笑ってしまう。冗談が上手い人だ。こんな風に声をかけてくる男が、初めてのはずがない。俺の緊張を解そうとしてくれているのだろう。肩の力が抜け、自然に笑みが出た。
「じゃあ、お互い初めて同士ということで」
 そういう体で、進めるのだろう。俺もそれに乗る。
「嫌だったら、言ってください。貴方を尊重します」
「はい」
「もし駄目でも、お互い素性も名前も知らない、連絡先も交換しない。そうすれば、不安は無いでしょう」
「……はい」
 彼の提案は安心ではあったが、少し残念でもあった。初対面で抱き合おうと思えるくらいには、彼は魅力的に見えたから。
「でも、呼び合う名前がないのは不便ですね? 偽名で構いません。なんと呼べば良いでしょう」
「―――」
 一瞬、躊躇した。好きな小説から名前を貰おうか。その考えは、一瞬で消え去る。
 どうせ今夜だけの関係ならば、名前くらいは本当の名前を呼んで欲しい。見知らぬ誰かになって、夢のようには終わりたくなかった。
「寛之(ひろゆき)―――寛之、です」
「寛之さん。僕は、康一(こういち)です」
「康一……さん」
 偽名、かも知れない。一晩だけの相手。多分、歳上だろう。落ち着いていて、穏やかな男性だ。
「キスしていいですか?」
「っ、はい……」
 言い終えるより早く、唇が重なる。軽く合わせるだけで離れ、もう一度重なる。今度は、舌が入ってきた。
「んっ」
 舌が唇をなぞり、俺の舌に絡み付く。角度を変えて深くなる口付けに、ゾクゾクして肩が揺れる。康一とのキスは、気持ち良かった。甘く蕩けそうなキスに酔わされていると、バスローブの隙間から細い指先が侵入してくる。
「鍛えているんですね」
 腹筋をなぞられ、ぴくっと身体が跳ねた。
「っ、あ、康一さん……」
「先ほども言いましたが、僕は経験がないので、嫌なことをされたら言ってください。逆に、して欲しいことも、言ってください」
「……そう言われても、俺も初めてなので……」
 気遣いで言っているのか、俺に言わせたいのか、判断に迷う。苦笑して、康一の肩に手を乗せた。
 して欲しいことと言われても、正直男同士のことはよく解らない。首を捻って、考えていると、不意に親しい友人たちのことを思い出した。
「友人のカップルは、手錠とか使っていますね」
 冗談半分に言った俺に、康一は目を丸くして、それから俺の指先にキスをして甘く囁いた。
「さすがに手錠は持っていませんね。―――ネクタイ。とか、どうです?」
「どう、って……」
 意図を理解し、カァっと頬が熱くなる。
 初対面だぞ。そんなことして、不安じゃないか。
 冷静な頭ではそう思っているのに、どうして俺は頷いたりしたのだろうか。
 康一が脱いだ服からネクタイを手にして、俺の腕を掴む。軽く、潜らせただけだ。直ぐに解けてしまうような、甘い拘束に、クラクラと目眩がした。
 胸を押され、ベッドに寝かされる。はだけたバスローブを肩から滑らせ、手のひらが這う。康一が覆いかぶさるように、上に乗った。
 不快だとか、怖いとか、微塵にも思わなかった。
 ただドキドキして、緊張して、頭がどうにかなりそうだった。


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