【試し読み】ヤクザなイケメンに飼われてます! 1: ~引きこもりオタク、イケメンヤクザに拾われて夜の街で働きます~

ヤクザなイケメンに飼われてます! 1: ~引きこもりオタク、イケメンヤクザに拾われて夜の街で働きます~

ドSな彼氏シリーズ

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 やっぱり死のう。
 昨日は先延ばしにしてしまったけど、今日はそうしよう。幸いにも今日はカラカラと空気が乾いて気持ちの良い青空だ。死ぬにはピッタリの朝じゃないか。そう思って瑞希(みずき)は、風呂場へと足を運んだ。小さい部屋は密閉しやすいし、作業もやりやすい。前にやろうと決めたときは、準備で満足してしまって、結局やらなかった。だが、今日こそは違う。
 渡辺(わたなべ)瑞希は、精神疾患持ちの引きこもり。加えて無職である。家族はすでになく、頼れる人も居ないままに都会の隅に埋もれたまま、這い上がることが出来ずに居た。
(これで終われる。ようやく棄てられる)
 自分は生きている価値のない人間だ。なんだか生きてしまっているが、社会にとってお荷物でしかない。その罪悪感が雪のように降り積もり、やがて『瑞希』という器から溢れ出す。そうなれば終わりだ。
 今、瑞希の器はギリギリで、今にも溢れ出そうとしている。限界なのだ。身体も心も、とっくの昔にすり減って、気持ちはいつも安定しなかった。
 何でもやれそうで、無敵な気分になったと思えば、何をやっても駄目なように思える。頑張って気力を振りかざし、自分は出来ると思い込んでみても、普通に生きている人と同じように『普通』が出来ない。
 自分に苛立ち、失望し、社会に憤り、他者のせいにしている自分に腹が立つ。
 そうやっているうちに、すっかりくたびれて、何度命を絶とうとしたか解らない。
(大丈夫、怖くない。向こうに行けば楽になる)
 ドラッグストアで買った洗剤。混ぜるとヤバイらしい。窓はガムテープで塞いだ。あとはドアを密閉すれば良い。
(僕は落ち着いている)
 淡々と、作業をする。あと少し。あと少しで、全部が終わる。
 その時だった。
 ドンドンドンと、大きくドアを叩く音。
「瑞希ちゃーん、居るでしょ?」
 女の声に、瑞希はビクッと肩を揺らした。心臓がバクバクと鳴り響く。じっとりと、額に汗が浮かんだ。緊張していたのだと、その時に気づく。
「みーずーきーちゃーん」
 なおもドンドンと扉を叩く女に、瑞希は慌てて立ち上がる。洗剤を床に置く手が震えていた。
「みょ、妙見(みょうけん)さん! ドアが壊れる!」
「だって出てこないんだもの」
 ガチャンと鍵をはずして、扉を開く。玄関先に立っていたのは、細身の女だ。ジャージにトレーナーというラフな格好で、普段は流している長い髪をポニーテールにしていた。
「まーた死のうとしてたんでしょ。そんなことよりさ」
「そんなことって」
「そ、ん、な、こ、と、よ、り。ねえ、バーベキューしよ」
 あっけらかんと言ってのける妙見に、先ほどまでの緊張が一瞬にして淡雪のように溶け去った。
「バーベキュー……ですか」
「そーそー。チャイさんの店で余った食材、店長さんがくれたんだって。なんかドタキャン? とかで材料余っちゃったんだってよぉ。酷いわよねえ」
「そりゃ、やってられないですね」
 チャイは隣の部屋に住む妙見と同じく、このアパートの住人だ。外国人労働者で、料理店で働いているらしい。人の良さが顔ににじみ出ている男だった。
「豚肉だけどお肉けっこうあるからさあ。私はビールとかウイスキーとか提供するつもり」
 要は、瑞樹にも何か出せということだ。瑞樹は冷蔵庫の中身を思い返しながら、「うーん」と唸る。
「うちは玉ねぎとか冷凍のうどんくらいしかないですよ。ああ、人参もあったかな……」
「良いじゃない! 焼きそばじゃなくて焼きうどんにしましょうよ」
「はあ……」
 半ば強引に、妙見は勝手に部屋に入り込むと、台所をあさり始めた。瑞樹はその様子を見ながら、そわそわと腕を擦る。自殺未遂を見透かされているのは、妙見がこうして乱入してくるのが初めてではないからだ。アパートの住人には、何度も助けられていた。
「あ、コショウ! コショウも借りるね!」
「え? あ、はい」
「よーし、じゃあバーベキュー大会しよ!」
 妙見に腕を引っ張られ、瑞樹はアパートの庭へと降りていった。
(明日……明日で、良いか……)
 先延ばしになった死を部屋において、瑞樹は吐息を吐き出した。


   ◆   ◆   ◆


 ごうごうと燃える炎を見上げて、ポカンと口を開いた。呆然としていたのは瑞樹ばかりではない。バーベキューに誘ってくれた妙見も、肉を提供してくれたチャイも、庭に居ついているホームレスの伊藤(いとう)も、隣の部屋の住人であり、ギャンブラーの赤澤(あかざわ)も、同じように呆然としていた。唯一、忙しなく炎の様子に右往左往していたのは、アパートの大家だけだ。赤々と燃えるアパートに、なすすべもなくただ見ているしかない。周囲には物見遊山の人だかりと、心配そうな近所の人たちの顔が見える。消防の到着は遅れていた。道幅が狭く、消防車が入れなかったのだ。
 なぜ、こんなことになったのだろうか。瑞樹は呆然としたまま長すぎる前髪の隙間から黒煙を上げる炎を見上げる。
 焼くものがなくなったらお開きになると思っていたバーベキューは、意外にも夜過ぎまで続いた。肉の量が思ったよりも多かったというのもある。そのうち、妙見が酒が足りないと買い足して、伊藤も秘蔵の酒だという得体の知れない一升瓶を不法占拠しているテントから取り出してきた。その頃には伊藤の足取りはフラフラで、それを見て妙見が腹を抱えて笑い、チャイが涙を流して手をたたいていたのは覚えている。
 さすがにバーベキューコンロの燃料が足りなくなってきたと、炭を追加で足したのが悪かったのか、酒をかけたほうが美味いと言ってチャイが肉に酒をまぶしたのがいけなかったのか。テントに、火が燃え移った。
 そこから、あっという間だったのである。
 木造二階建ての古いアパートは、一気に炎に包まれた。火を消そうと瑞樹が慌てて庭のホースで水をかけたが、逆効果だった。部屋で休んでいるはずの赤澤を思い出し、慌てて声を掛けに言って、その直後。階段が崩れ落ち、一気に火が広がった。
「うそぉ……」
 ぐずっと、妙見が鼻を啜る。皆、信じられないものを見る目をしていた。
 すべて、無くなってしまった。
 住んでいる家も、なけなしの家財道具も、何もかも。貯金なんて碌になかったのに、職もなくて家もなくなって、お先真っ暗だ。
「あ、はははは」
 思わず、乾いた笑いが零れた。妙見が、潤んだ瞳を向ける。
 何もなくなって、笑うしかない。こんなことになるなんて。人生ホント、ついてない。
「瑞樹ちゃん……」
「ああ――」
 瑞樹はホッと、息を吐きだした。
(僕、死のうとしてたんだけどな)
 死のうと思っていたはずなのに、「これからどうしよう」なんて考えている。そのことが、妙におかしかった。
「……全部、なくなっちゃったね……」
 しみじみと呟く声に、小さく頷いた。チャイも、どうしていいか分からない様子だ。赤澤もただ、呆然としている。そんな中、伊藤が豪快に笑って出張った腹をポンと叩いた。
「なあに、住むところがなくなったって、どうとでもなる。仕事がなくても、生きていけらあ。命があったんだ、良かっただろうが」
「ホームレスが言うと違うなあ」
「感情がこもってないのよ」
 警察の事情聴取などもあるが、家が燃えてしまった大家の方は、保険が下りそうだと聞いて全焼させるように今度は消防士に詰め寄っている。たくましいその姿に、瑞樹は呆れてしまった。
 チャイは警察に就労の関係でさらに問い詰められるようで、今日は帰れなさそうだし、伊藤はボランティアのシェルターに入れるようだ。赤澤の方は友人に相談するらしい。さて、自分はどうしようか。瑞樹は自分もシェルターに入るようだろうかと、そちらに視線を向ける。家なしになったら、自分もホームレスになるんだろうか。吐息を吐き出そうとした肘を、妙見がツンツンと突いた。
「ん?」
「良かったら、私の知り合いに紹介しようか? 仕事と住むところ、なんとかなるかも」
「え」
「まあ、私の紹介だから、ね?」
 含みのある言い方に、瑞樹は妙見が水商売をしていることを思い出す。要するに、夜の街での仕事を紹介するということだろう。躊躇しなかった訳ではないが、断ればホームレスへ一直線な気もした。落ちてしまえば、這い上がるのが難しいのも知っている。瑞希は既に崖っぷちだ。
「……じゃあ、一応、紹介だけ……」
「うふ、決まりね。じゃ、タクシー呼ぶわね」
 ポケットに入っていたらしいスマートフォンを操作して、タクシーを呼ぶ。そういえば、自分はスマートフォンも無くなってしまったな、と瑞樹はため息を吐き出した。



 タクシーが到着した場所は、やはり繁華街だった。妙見が水商売をしているのは知っていたが、具体的なことは良く分かっていない。派手で酒の匂いがするイメージがあったが、普段の妙見は化粧っけもなく服装も地味だ。時折、仕事着のまま帰ってくるのを見かけたが、そういう時は別人のように見えたものだ。
 ネオン街を歩きながら、妙見は乱れた髪を手で直す。ジャージ姿の女と、スエット姿の男のコンビは目を引いたが、客引きが声を掛けることはない。チカチカと眩い看板を横目に通り過ぎて、妙見は古い雑居ビルの中へと入っていった。一回が金融会社、二階が雀荘。三階部分にオフィスが入っているようだったが、看板は出ていない。その三階部分の扉を開いて、中へ入る妙見の後に続く。
(なんだ、ここ)
 黄ばんだ壁は、煙草のせいだろう。スチールラックが壁側に備え付けられ、事務机が並ぶ光景は一見普通のオフィスだ。そんな場所に似つかわしくない、立派過ぎる神棚。その横には額装された家紋らしきものと、社訓――に見えなくもない文言。
(『一燈照隅(いっとうしょうぐう)』――……。一燈照隅万燈照国(ばんとうしょうこう)……だっけ)
 達筆な文字で書かれた文字を見て、脳裏を過ぎる。「一つの灯火だけでは隅しか照らせないが、その灯火が万という数になると国中を照らすことができる」という意味だったはずだ。社訓にしては大仰な言葉である。
 高そうな大皿や、大きな壺。あまり趣味が良いとは言えない空間に気を取られていたが、部屋の中の雰囲気が異質なことに、瑞樹は気が付いた。
 鉄板で封じられた窓の傍に、男が立っている。サラリーマンというには鋭すぎる眼光の男。なにより、黒い革の手袋をしているのは異質でしかない。隅に立つ男の殺し屋のような雰囲気に、ビクッとして肩を揺らす。来客に茶を用意しようと立ったのは、やはり強面のスキンヘッドの男。顔にはトライバル模様と呼ばれる刺青が入っていた。身体をこわばらせた瑞樹は、思わず入口にあった趣味の悪い置物を揺らしてしまった。ガタっという音に、机に座って煙草を吹かしていた金髪の、スカジャンを着た若い男がジロリと睨む。
「っ! スミマセンっ」
 慌てて置物を支えて、瑞樹はそれがコート掛けだと気が付いた。本当に趣味が悪い。
「ごめんね、いきなり押しかけてえ」
 甘い声を出す妙見に、視線をそちらにやる。
 黒い革張りのソファに、男が座っていた。白いスーツに、艶のある紫のシャツ。金色のチェーンを首に巻いて、鈍器のようなゴツイ指輪を嵌めている。若い、男だった。
 切れ長の瞳に、ぞくりと背筋が粟立つ。かなりの美丈夫だった。

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