【試し読み】桜町商店街青年部ただいま恋愛中! 1: -A Midsummer Night's Dream-

桜町商店街青年部ただいま恋愛中! 1: -A Midsummer Night's Dream-

桜町商店街シリーズ

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 暑い。
「おい、クーラー壊れてんのか……?」
 ベッドの上から少し身を起こして確認すると、クーラーは稼働中だった。二十度で設定したはずだが、汗ばむほどに室温が高い。室外機が日当たりの良い場所に置いてある上、年数がかなり経過した代物なので、うまく室温が下がらないのだ。
「勘弁してくれよ」
 居酒屋の仕事が終わって、店の掃除、早朝の仕入れに行ってから、店に戻り、小学生が登校する声を聞きながら晩飯を掻き込んで、シャワーを浴びてから横になる。それが、早乙女(さおとめ)拓海(たくみ)の日常だったが、いかんせん、横になっても、暑くて眠れない。
 現在午前九時半。
 普段ならば、すんなり眠りに落ちているところだ。
 早く眠らないと、今日の仕事が辛い。
 二時には起きて、三時から仕込みに入らなければ、五時の営業開始に間に合わない……。
 最近は、客足も減っているが、それでも、客はゼロではない。
 それならば、その、ゼロでない客のために、精一杯頑張らなくてはならないのだが、こうも暑いと、眠ることもままならない。
「あっぢぃ……」
 もう二、三度設定温度を下げようか。
 政府が適切な設定温度だか節電だかを呼びかけていたのを思い出しつつ、エアコンのリモコンに手を伸ばしたその時だった。
「いつまで寝腐ってるんだ! 起きないか!」
 勝手知ったる様子で部屋まで入って来た、二階堂(にかいどう)和樹(かずき)が、不機嫌そうに怒鳴りつけてきたのだった。
「なに、勝手に入ってきてンだよ」
 腹立たしい。その上、部屋のドアを開けたままにしていくもんだから、容赦なく冷気が去って行く。外は、四十度近い灼熱だ。その熱気が一気になだれ込んできた。
「なんだとは、こっちのセリフだ」
 和樹は、見下すような口調で言う。
「拓海、お前、今日は九時から青年部の会合があるのを忘れていたわけではあるまいな」
「はぁっ? 青年部の会合なんか、俺に参加出来るわけねぇだろうが。他の飲食の奴らも、同じ気持ちだろうよ」
「それでも、参加してくれている」
 どういう圧力を掛けやがったんだか、と拓海は内心舌打ちした。
 桜町商店街青年部。
 発足したのは今年の四月だった。
 商店街の「若手」は強制参加だ。それは良いが、会合が、こんな昼間では困る。
「せめて深夜か早朝にしろよ」
「それはお前の都合だろう。普通の感覚から言えば、朝一番に会議を行う方が良い」
 さも当然、というような口振りで、和樹は言う。
「それで、今日の議題は」
「とりあえず、みんな、うちに来ているから、お前も早く来い。そうしたら、議題については説明する」
「マジかよ。俺、寝てねぇんだぞ!」
「そうか」
 しれっと呟いて、和樹は去って行く。やはり、部屋のドアは開けたままだ。
「お前っ! 寝不足も、熱中症に悪いって知ってんのか! 俺が熱中症で倒れたら、お前のせいだぞ!」
 叫んだら、クラクラした。



 二階堂和樹は、桜町商店街にある米穀店の三男坊で、拓海の幼なじみだった。
 ちいさな、この桜町商店街で生まれ育ち、そして、今は商店街の仲間として一緒に働いている……という所か。
 拓海は、両親が経営していた居酒屋を継いだ。
 客足は、ここのところ鈍い。地元の大企業・村木精密機械が、業績不振というのが一番大きいだろう。
 この町は、そもそも、村木精密機械が大きくなって、住宅地を作り、駅が出来、そうして作られていった商店街だ。地元の大企業が傾けば、自然、商店街にも冷たい風が吹き込んでくる。
(とはいえ、まあ、外は暑いがな……)
 結局、睡眠時間もそこそこに、拓海は米穀店へ向かう。
 和樹というのは、幼なじみ連中にとってはガキ大将みたいなもので、力関係は三十手前になっても変わらない。どうも、和樹には逆らえないというのが、身体に染みついている。
「ちわーっス」
 米屋の入り口から入っていく。店番には、先代の姿があって、帳簿を繰っていた。
「おっ、拓海か。しばらくぶりだな」
「ちわーっス。オジサンも、たまには居酒屋に顔出してくださいよ」
「ん? いや、なあ、年寄りには、夜遅いのは無理なんだよ」
「五時から開いてますよ」
 そうか? ハハ、と先代は笑う。居酒屋に来る気がないのは解っている。
 晩酌なら、家で好きな酒を飲めば良いし、今時、コンビニにでも気の利いたつまみは置いている。寝っ転がりながら、好きなテレビでも見つつ酒を飲む方が、今のご時世は、気楽で良いだろう。
「和樹は?」
「ああ、仏間の所にいるよ。青年会のみんな集まってるから、暑苦しいわ」
「そうっスか」
 部屋へ上がり込む。店から上がると、すぐに居間で、和樹の祖母が、一人でテレビを見ながら、なにやら、うんうんと唸っているが、多分、言葉や文句めいたものではなく、単純に、機嫌が良いだけだ。
「ばーちゃん、こんにちは」
 声を掛けるが、耳が遠いらしく、特に、反応はない。
(昔は、良く大目玉を食らったもんだけどな)
 あの頃に比べて、大分、小さくなった。それを寂しく思いながらも、拓海は奥へと向かった。線香の香りが濃くなる。仏間の襖は、ぴっしりと閉ざされていた。冷気が漏れないようにするためだ。
「おーい、来てやったぞ!」
 勢いよく襖を開くと、そこに詰め込まれていた男たちの視線が、一点集中する。
 みな、非難がましい眼差しだった。
(やっべ……、これ、みんな怒ってるわ)
 チクチクと刺すような視線に耐えつつ「どーも」などと言いながら、部屋の隅っこに座る。丁度、冷房の風が当たって、厳しい外気に晒された身体が、じんわり冷えていく。
(あ、眠くなってきた)
 うとうと仕掛かる。米屋代々の豪華な仏壇を背景に、和樹が立ち上がる。
「これで、青年部メンバーは揃ったな。暑い中、参集してくれて、感謝する。各自、商売もあることだから、手短に済ませよう」
「あ、ちょっと待って」と手を上げたのは、最近、商店街に出店したラーメン店の店主・梶浦(かじうら)蓮(れん)だった。独特な雰囲気のある人だ。女性的な印象で、メイクもしている。綺麗なお姉さんというより、妖艶な美女という感じがする。
「なんだ、梶浦」
「急な召集って、これから、頻繁にあるの? だったら、時間とか、都合とか、もう少し前もって言ってくれると助かるんだけど。昼メインの仕事の人は良いけど、あたしとか、そっちで眠そうにしてる居酒屋さんは、困るのよ」
 どーせ聞きやしねぇよ、と思いながら大あくびをする。和樹は「そういうものなのか?」と問う。
「ええ。うちの場合は、五時開店で、スープがなくなり次第終了だけど、なんだかんだ、深夜まで店の掃除とか仕込みで残ってるわけ。その上、市場から届く食材を受け取るのが午前中の早いうちで、今の時間は、仮眠を取ってないと、倒れちゃいそうなのよ」
「なるほど、それで、和樹も寝ていた訳か。それでは、今後は、時間については調整をしよう」
(マジか?)
 すんなり言うことを聞いた和樹を、拓海は信じられない気持ちで見る。今までの和樹は、絶対に自分を曲げなかった。頑固さには、幼い頃から手を焼いていたものだが……。

 ―――いつまでも、このままでは居られないだろう。
    変わらなければならないんだ。

 ふいに、いつ聞いたか忘れた、和樹の言葉が蘇る。人間は、そうそう変わることなんか出来ないと思っていたから、話は半分に聞いていたが、本気だったらしい。いや、確かに、そうなのだ。
 桜町商店街は、空き店舗が多い「シャッター街」になっていた。
 その空き店舗に、新しい店を誘致した「桜町商店街再生プロジェクト」を立ち上げたのが、二階堂和樹だ。
(ラーメン屋に、ブックカフェ、飴屋、ビストロ、洋菓子屋……)
 そして集まった若い店主たちを集めて、桜町商店街「青年部」も作られることになった。
 和樹は、この町を再生する為に、尽力している。それは、解るが、拓海から見ていると、空回りしている部分も多い。
「それで、今日集まって貰ったのは、夏祭りの件だ」
「夏祭り? そんなのあった?」
 不審そうに聞いたのは、原健太郎(はらけんたろう)。拓海たちより四歳年下で、肉屋の息子だ。
「なんだ、夏祭りと聞いていたから恒例行事かと思ったが、そうではないのか」
 顔をゆがめて聞くのは、この四月に開店したブックカフェのオーナー、佐神諒(さがみりょう)だ。拓海は、今まで三ヶ月の間、殆ど会話もしたことはないが、小綺麗なブックカフェを経営する小綺麗な男という印象が強い。
「ああ、今回、せっかく、商店街に新しい店が増えたのだから、各店舗が参加出来る形のイベントがあると良いと思ったわけだ」
「それで、夏祭り?」
 ラーメン屋の梶浦が、少しめんどくさそうに言う。
「季節ごとのイベントというのが、老若男女に好まれるだろう」
 和樹は断言する。
「若い子、そんなの、好きかなあ」
 のんびりした口調で言うのは。和菓子屋の跡取りの常磐井黎(ときわいれい)。老舗の和菓子屋の息子ということで、かなり、おっとりした口調をしている。
「若い子でいうならば、季節ごとのイベントは、間違いなく大好きだろう」
「なんで、そんなの、わかるんだよ」
 銭湯の店主、五十嵐(いがらし)慧(けい)が頬を膨らませながら言う。
「お前もそうだろうが、若い人たちもやっているSNSゲームでは、なにかといえば、季節イベントをやるだろう」
 さも当然という和樹の言葉を聞いて、拓海はため息を吐いた。
「あのさぁ、ゲームの季節イベントっていうのはプレイヤーに利益があるから皆楽しみにするんだろう? でも、こんな、商店街のイベントで、どうやって、それをやるんだよ」
「利益、か」
 とりあえず企画を考えたのは良いものの、思いつきで周りに相談もしていなかったのだろう……と、拓海は思う。だからこそ、こんなところで答えを考えるのだ。
「……こんなザルな企画に乗れるかよ。イベントは、ただで出来るもんじゃないし、準備には時間も労力も掛かる。それは全部コストなんだから、それに見合う見返りがなければ、イベントなんか出来ない。お前のいう、SNSゲームだって、運営に儲かる試算があるから、宣伝打って、客を呼べるんだよ」
 貴重な睡眠時間を削って損した――と、席を立とうと腰が浮いた瞬間だった。
「へぇ? それで、代案か何かはあるのか? そこまで立派なことを言うなら、なにか、案でも聞かせて貰わないと、フェアじゃないな」
 見下すような冷ややかな視線を向けつつ、ブックカフェのオーナー、佐神諒が、拓海に声を掛けたのだった。
「フェアじゃない? どういう意味だ」
 拓海は、苛立ちながら言う。ただでさえ、眠っていないところに言われた言葉なので、余計にカチンと来た。
「どういう意味って……、理解もしないで、そんな一方的に正しそうなことを言ったのか?」
 佐神は信じられないものを見るような、侮蔑の眼差しを向ける。
「なんだと!?」
「そうやって、声を荒らげれば良いというのも、おかしな話だな」
 小さく独り言のように言ってから、佐神は拓海を向いた。綺麗な顔だった。居酒屋に、常連客に連れられて飲みに来た女性たちが「ブックカフェの店長さん、涼しげで素敵よねぇ」ときゃあきゃあ言っていたのを拓海は思い出す。
「なンだと?」
 思わず声が荒くなる。
「批難は簡単だ。だが、代案も何もナシでは、ただのクレーマーと同様だろう」
「クレーマーだと?」
 いきり立つ拓海に対して、佐神はあくまでも涼やかだ。
「ああ、言いがかりに等しい文句を並べ立てるなら、立派なクレーマーだろう」
「な……んだと? じゃあ、お前は、夏祭りとやらに賛成なのかよ」
「まあ」と一呼吸置いてから、佐神は言う。「反対する理由はない。現在、この商店街は、活気があって賑わっているという状態とは、かけ離れている。その現状を鑑みた上で、人を呼ぶ企画を考案し、実行に移そうというのだから、反対する理由がない」
 淡々と告げた佐神の言葉に、
「そうですね。何もやらないよりは、やった方が……」
「金が出来るだけ掛かんねぇ方法なら、まあ、良いんじゃねぇか?」
 などと、ぽつぽつと賛成が出始める。和樹は、この様子を見て、少し、ホッとしたような表情を浮かべている。なんとか、話し合いになったというのに安堵しているのだろう。
「けどな、全く何にも決まってない状態で、やろうってだけ言われても困るってことだよ」
 拓海の反論に頷くものも居るが、佐神は、ふん、と鼻で笑っただけだった。

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