【試し読み】桜町商店街青年部ただいま恋愛中! 4: -Winter Hot Night-

桜町商店街青年部ただいま恋愛中! 3: -Christmas Night-

桜町商店街シリーズ

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 買い物客がチラホラと、厚手のコートを着て歩く、のどかな日曜の昼。
 桜町商店街に一台の救急車が、けたたましいサイレンを鳴らしながらやってきた。
 商店街の、ほぼ真ん中。櫻(さくら)神社参道前に建つ、スナック『亜魅吾(あみーご)』の前に設置された、桜町商店街青年部主催、『ポイントラリー商品引き換え会』の現場のことだ。
 まるっこい体系の、小太りの壮年男性が、トドのごとく歩道に寝転がってもんどり打っている。そこへ、颯爽と救急隊員が駆けつけたところだった。
「こちらが通報の方ですね」
「はい」
 救急隊員の問いかけに応じたのは、スナック『亜魅吾』の店員、小森(こもり)光希(みつき)だ。すがるような目で、救急隊員を見ている。
「状況は?」
「はい。商店街の、景品交換に来たんですけど、それで『うめ食堂』のお食事券三千円をもらって、大喜びでスキップして帰るところを、滑って転んだ感じです」
「そうですか。こちらとは面識が?」
「はい。商店街の入り口近くにある八百屋さんの店主で、鷹野(たかの)さんです」
「鷹野さん。年齢と名前はご存じありませんか?」
「みんなが、家族に連絡したから、そろそろ……」
 小森が八百屋の方を見やる。すると、息子の鷹野未来(みらい)が、寝起きとおぼしきスウェット姿で、猛然と駆けてくるのが見えた。
「あ、あれが息子さんです」
「そうですか。じゃあ、息子さんに同乗頂いた方がいいですね」
 救急隊員が、「鷹野さん!」と未来を呼ぶ。未来は、その声に気づかずに、地面を、のたうち回っている、自身の父親のところに駆け寄った。
(ああ、親父さんのことが心配なんだね)と街の人たちが、ほっこりした気分になったのもつかの間。
「いい年こいて何やってんだ、こっのクソオヤジっ!!!!」
 駆けつけた勢いで、鷹野未来が、勢いよく倒れた父親の頭を殴りに行ったのだった。
 ゴッ、という鈍い音が響き渡る。
「ちょっと! 鷹野さん! やめなさい!」
 救急隊員が慌てて引き剥がしに掛かる。羽交い締めにされた未来は「放してくださいよ!」と暴れているが、救急隊員が放すことはないだろう。放した途端に、また殴りかかるのは目に見えている。
「おい、未来、何やってんだよ。すんません、こいつ、連れて行きますんで」
 騒ぎを聞きつけて表に出てきた、『小狸(こだぬき)の湯』の若き店主、五十嵐(いがらし)慧(けい)が、救急隊員に近付く。慧と未来は幼なじみで、なにかにつけ、トラブルがあると、お互いの所に連絡が行くことになっている。狭くて田舎な町内会のことなので、仕方がない。
 鮮やかな金髪を乱して、慧は未来の腕を掴むが、勢いよく振り払われてしまった。
「お前には関係ないだろうっ!」
「お前が騒いでると、俺に連絡が来るんだよ。俺に連絡されたくなかったら、お前が自重しろ!」
 振り払われて頭に血が上った慧が、怒鳴り返す。その間、仕方がないという顔をした、小森光希が「すみません、あの二人は放っておいて、オジサンをお願いします」と救急隊員に頭を下げている。
 そのまま、八百屋の店主、鷹野氏は、救急車に乗せられて、運ばれていった。
 だが、未来と慧は、それに気づかずに、何事かを言い争っているが、誰も止めに入る気配はない。当然だろう。単純に、面倒だ。
「しかし、こいつらも、よく飽きずにケンカばかり……」
 呆れた声を出したのは、居酒屋『一味同心(いちみどうしん)』の店主、早乙女(さおとめ)拓海(たくみ)だ。実は、拓海は、先月、未来に絡まれて、『うめ食堂』でケンカ寸前になってしまったことがある。実際は、拓海ではなく、拓海の恋人でブックカフェの店主、佐神諒(さがみりょう)と未来が言い争いになったのだが、このときも、五十嵐慧が呼び出されることになった。
 幼なじみの面倒は幼なじみで見る―――と町の古い人たちが思っているのかは解らないが、この町では、そういうことが多い。
 未来の場合が慧が呼ばれるし、その逆もある。拓海がなにか面倒を起こしたら、絶対に、同い年の幼なじみである、二階堂和樹や鐘崎(かねさき)周平(しゅうへい)が呼ばれるのだ。
 そういうことに、鷹野未来は、苛ついているのかも知れない。
「なーんか、嫌な予感がするんだよなあ」
 漠然としたことを言う拓海の隣で、小森光希がぼそっと呟く。
「嵐の予感かも知れないですよ」
「嵐、ねぇ」

 正月早々、勘弁して欲しいもんだな、と拓海は救急車の立ち去った方を見やる。騒ぎを聞きつけて集まった野次馬たちも、三々五々、去って行く。だが、未来と慧だけは、街の人たちが去ったことにも気づかずに、ケンカを続けていた。


  ◇◇ ◇◇


 倒れた父親の為に駆けつけた―――ハズだったが、みっともなく道路に倒れている父親の姿を見て、頭に血が上った。
 そしてその勢いで、父親の頭を殴りつけ、救急隊員に取り押さえられ、駆けつけた五十嵐慧と大げんかをするという、非常に、どうしようもない顛末を迎えた。結局、見かねた母親に頭を小突かれて、そのまま耳を引っ張られて家へ連行されて、現在に至る。自宅の廊下に座らされて説教を受けているわけだが、一月の、昔ながらの木の床は、冷え切っていて、正座している脚の感覚がなくなってきた。
(やっべ……、このままじゃ、風邪ひく……明日の、朝は……、朝一度本部長の会議があるから、その前に資料を用意して、プレゼンの準備と……。あ、プレゼンの資料は、今からちょっと見直してブラッシュアップさせておきたいな……)
 などと考えていると、まったく、母親の言葉など頭の中には入ってこない。一分でも早く説教が終われば良い。昔から、大人たちの説教は、ただただ、理不尽だった。感情任せに怒鳴りつけるモノだから、説教の内容に整合性がない。それに気がついたとき、未来は、(ああ、大人たちは、ただ、ストレス解消がしたいだけなんだな)と言うことに気がついて、ならば、『子供』という、庇護される立場だからといって、おとなしくサンドバッグになってやることもないと思い至って、お説教は華麗にスルーするというスキルを身につけた。
「あーもー、あんたって子はっ! ちょっと、病院に行ってくるから、店頼んだわよっ!」
 苛立たしげに怒鳴りつけて、母親は、病院へ向かってしまった。救急車で運ばれた父を迎えに行くのだろう。転んだくらいで、大げさなと、口から出かかったが慌てて、口をつぐむ。これは余計な一言だ。
 店番は良いが……明日の会議の準備があるのに。寂れた商店街の、寂れた八百屋。地域の客は、スーパーマーケットに買い出しに行くから、八百屋で買い物をする客は減っている。だから、品数を絞ったり、仕入れを調整したりしてなんとか凌いでいるのだろうが、客からすれば品数の薄い八百屋へ来るメリットはない。そして、多分、大手スーパーと張り合えるほど、価格も安くはない。それでも、たまに来る客のために、店番は必要だ。これは、費用対効果が薄いのは、数字を見るよりも明らかだろう。
 エプロンを付けて、店に立つ。小さい頃は、無邪気な気持ちで、エプロンを着けられた。父親の真似をして、エプロンを着けて店に立って、気のよさそうな近所のおばさんたちを相手に、店番のまねごとをしていたら、誉められた。将来は、八百屋さんになる。お父さんの跡を継ぐんだ、というのが小学生の頃の―――つまり、世間の風の冷たさを知らなかった頃の話だ。
(今は違う……)
 中学までは地元だったが、高校は、電車で五駅さきの街だった。桜町よりも、もっと栄えている街だ。市の中心地で、市役所も建っている。劇場や映画館もある。寂しいけれどデパートも、大きな書店もあった。そこで、思い知ったのは、どの商店街も、滅びへ向かってゆっくりと歩いていると言うことだ。高校近くの商店街は、かつては歩行者天国になっていて平日でも賑わっていたが、今は、頼まれてもここを通る人は居ないし、車も通らない。猫の一匹も見たことはない。延々と続くシャッター街。それは、将来の桜町の様子だった。
(会社勤めのサラリーマンが、今の世の中では、リスクが一番低いだろう……)
 自分で起業する勇気があれば、そうしたかも知れないが、倒産など様々なリスクがある。
 世の中、何が起こるか解らないというのは、ここ数年で、思い知っているだろう。だから、リスクを考えなければならない。安定した収入を得なければ、安定した生活は出来ないだろう。八百屋の生活は、安定していると言うには、やや遠いものだと感じていた。
「あら、今日は、未来くんがお店に出てるのね。最近野菜も高くなったわよねぇ」
 近所のおばさんが、店先にいた未来に声を掛ける。
「いらっしゃいませ。今年は、いろいろ天候が悪いですしね」
「本当に困っちゃうわよねぇ。何もかも値上げなのに給料は据え置き価格ですもの」
 はあ、と曖昧に笑って、話を聞く。適当に相づちを打っていたが、買い物ならば、要件を済ましてくれればいいのに、と思ってしまう。おばさんは、結局、十五分も一人で話していたのに、「じゃあ、あたしはこの辺で帰るわね」と何も買わずに去って行く。話し相手をしただけで、体力をごっそり削られていくような感覚で、気疲れする。
(なんだこれ、こんな店、開けてて、本当に意味があんのか?)
 さっきのおばさんも、きっと、スーパーで買い物をするんだろう。なんでも揃っているスーパーは、絶対に便利だ。桜町商店街で買い物をすると、多分、日常生活で必要なモノがすべて揃うという保証がない。
 客の来ない店先、未来は、町の様子を見てみる。通行人はいない。こんな商店街に、あかるい将来があるとも思えなかった。


 母親が帰宅したのは、二十時を越えていた。
「もー、大変だったのよ。入院の手続きとか、なんとかかんとか、今は面倒だし、買い出しもしなきゃならないし、お父さんはもー、わがままだし」
 ぼやきながら帰宅する母親に辟易しながら、未来は「そうなんだ」とだけ答えておく。無視をしても、面倒だし、とにかくいろいろな事が面倒だと言うことは変わりない。
「もう、アンタも良い年齢なんだから、もっとちゃんとしなさいよ。ご飯くらい作ってないの?」
「今まで店に出てたんだよ」
「店に出てたってご飯くらい作れるでしょ! あたしはそうやって、アンタを育てた!」
 母親の剣幕に反論出来ず、未来は「じゃあ、ちょっとお惣菜買ってくるよ」と言って外に出る。家の外に出た瞬間、ほ、とため息が出た。息が出来るような、そんなちょっとした開放感がある。上着も着ないまま出てきてしまったが、どうせ、近所の惣菜屋に行くだけだから、良いだろう。腕を抱きながら、未来は小走りに惣菜屋へ向かう。
「あれ、未来!?」
 声がして。反射的に立ち止まってしまってから、後悔した。なぜ、立ち止まってしまったのかと。
 声で、だれに声を掛けられたのか、解っているはずなのに。
「……慧」
 五十嵐慧だった。さっき、大げんかをした手前、顔を合わせたくない相手だ。だが、とうの慧の方は、平然とした顔をしている。
「未来! どうした? おじさんは?」
 さっきケンカしていたことなど、まるで忘れたように慧は近付いてくる。未来は、それに、少し苛つく。
「オヤジは……入院した」
「入院?」
 慧が怪訝そうに眉を寄せる。
「なんだよ」
「いや、ちょっと、妙だなと思って……。おじさん、別に、頭とか打ってなさそうだったし、脚の骨が折れたとかでもないんでしょ?」
「わかんない」
 そういえば、父親の容態など、気にもしなかった。慧が知れば、『薄情だ』と罵るだろうから、何も言わないでおく。今日は、一日店先に立っていたから、疲労が酷い。結局、今日来た客は何人だったのか……。
「っていうか、急いでどこに行くの?」
「えっ? あっ!! ヤバッ、お惣菜買いに行くところだったんだ!」
「あー……、吉田さんのところなら、今日、休みだよ?」
「えっ?」
 想定していなかった。そうすると、コンビニか、居酒屋か、食堂か。どこかに行って食事を調達してこなければならない。自分一人ならば、居酒屋で適当に飲んで終わりにするところだが、母親の分を調達しなければならない。
 面倒な気持ちは、顔に出ていたのだろう。慧が「ちょっと待って、うめ食堂に電話してみる」と言って、スマートフォンを取り出す。その場で、勝手になにやら『うめ食堂』の主人と話を付けて、持ち帰り用のメニューを最速で用意させたようだった。
「お前、勝手に」
「お前と、おばさんの分でいいんだろ? こういうときは、ガッツリとんかつでも喰って、元気出せ。人間、腹が減ると、ろくなことを考えないから、絶対に、満腹になるまで食べるんだぞ」
 慧が、知ったようなことを言うので、未来は腹立たしくなったが、確かに、今は、ケンカをする元気もない。
「ったく、メニューぐらい選ばせろよ。明日、プレゼンで! 胃もたれするだろ?」
「なーんだ、だったら余計にとんかつでオッケーだって! とんかつ食って、プレゼンも勝ってこい!」
 何も知らないで、慧は拳を差し出してくる。未来も、なにも考えず『おう』と応じて、素直に、拳を突き合わせることが出来れば良かった。けれど、プレゼンは、一発勝負の徒競走ではない。事前に、どれだけ根回しをしていたかを問われる場所だ。『頑張れ』とか『勝ってこい』とか、そういう言葉が無意味になる場所なのだ。
「晩飯の件は、助かった。じゃあ」
 未来は、慧に背を向けて、『うめ食堂』へ向かう。
「ちょっとっ!」
「……今日はいろいろあって疲れてるから、放っておいてくれないかな」
 引き留めようとした慧に、未来は冷たく言い放つ。一瞬、なにか言いかけた慧だったが、「たまには、ストレス解消した方が良いんじゃないか?」と告げる。それこそ、余計なお世話だった。
「簡単に、解消出来るようなもんでもないだろ」
「一晩中歌って踊るとか」
 慧の言葉を聞いた未来は、ハンッ、と鼻で彼の言葉をあざ笑った。
「お前みたいに、脳天気なヤツは、それでいいんだろうけど、普通は、違うんだよ。踊ってたって、問題から逃げるだけだろう? いい加減、現実見た方が良いんじゃない?」
 未来は、言いたいことだけを言って、『うめ食堂』へ足早に歩き出す。慧は、今度は、何も言わなかった。



 翌日のプレゼンは、散々だった。
 会議中、自宅から電話があって、緊急事態と言うことで電話に出なければならなかったからだ。おかげで、プレゼンは途中で中止、上司から睨まれつつ、早退しなければならなかった。
 とにかく急いで来るように、と病院から電話があったらしい。取り乱した母親からの電話を受けて、会社からタクシーで自宅に向かい、母親を拾って病院へ向かった。
 プレゼンは―――あのまま進めていれば、おそらく、採用されただろう。根回しは完璧だったはずだ。あとは、しっかりプレゼンの練習をしたし、ちゃんと話を進められれば良かった。だが、プレゼンは打ち切られた。あのプロジェクトは、もう、採用されることはないだろう。
(三ヶ月)
 三ヶ月もの間、準備してきた企画だった。営業の仕事の傍ら、根回し、リサーチ、企画……考え得るすべてのことをこなしてやってきた結果が、電話一本で断ち切られた。この、無念さを、何にどう、ぶつけて良いのか、未来は解らない。タクシーに同乗した母親は、青い顔をして、震えている。だが、未来は、そんな母親の姿よりも、自分の目の前で、一つの夢が絶たれた瞬間の方、自分自身の気持ちを絶望させていた。
 薄情で、思いやりに欠ける息子―――である事実は、理解していたが、気持ちの方は整理がつかない。
 身を粉にしてプレゼンに挑んでいた未来の数ヶ月が、無駄になったのだ。しかも、根回しをしながら、『入社一年目にしてプロジェクト採用』そして同期たちとは、評価が一段違うようになる……というような、妄想も抱いていただけに、落胆は激しい。
 期待が、はずれた。しかも、自分は準備万端だった。もし、あの電話さえなければ。
 そう思えば、自然に、湧き上がってくるのは、父親に対する心配ではなく、怒りだった。
 就活は苦労した。その末に、やっと納得出来る就職先に出会い、なんとか就職にこぎ着けた。そして入社してから、がむしゃらに頑張ってきた。その過程で、父親は、未来を応援したことはない。家を継がないのかという言葉は、何度か掛けてきた。
(家を、出るべきだったのかも知れない)
 桜町から離れれば、きっとこんな電話も掛かってこなかっただろう。ここ最近、桜町は、新しい事業者を増やすなどして、なんとか活気を取り戻すために必死に活動をしているが、それでも、肝心の客がいない。離れていった客は、たやすくは戻ってこない。
 例えば―――スマートフォンを知って、その便利さが当たり前になった現在、スマートフォンを手放せと言われても、それは出来ない相談だろう。桜町商店街の青年部がして居るのは、スマートフォンを手放せというような行動だ。
「……どうしよう……お父さん……お父さん……」
 母親が、隣で小さく繰り返している。それを冷え切った気持ちで聞きながら、未来は、大きなため息を漏らした。

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