【試し読み】桜町商店街青年部ただいま恋愛中! 5: Secret Night

桜町商店街シリーズ
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もしかして、僕は、この町に馴染んでいないんじゃないか……?
薄々気づいていたが、平沼(ひらぬま)優(ゆう)輝(き)が、改めてそう確信したのは、商店街青年部の会合も終わり、三々五々、家路に向かうシーンだった。
居酒屋の早乙女(さおとめ)拓(たく)海(み)は、ブックカフェの佐神諒(さがみりょう)を誘っていたし、最近青年部に入ってきた青果店の鷹野(たかの)未来(みらい)は、当然のように五十嵐(いがらし)慧(けい)と一緒に帰る。パティシエの小鳥(ことり)翼(つばさ)は、花屋の青柳陸斗(あおやぎりくと)に腕を取られて引っ張られるように帰って行った。
その他も、仲が良い人たち同士で帰って行くような気がする。
そして、なんとなく、優輝は遅れるので、青年部の会合場所となっている、桜町(さくらまち)米穀店(べいこくてん)店主・二階堂(にかいどう)家の自宅仏間に、取り残され気味だ。
(これは、なくとなく、マズイ……)
例えば、ブックカフェの小綺麗な店主、佐神諒は、優輝と同時期に桜町に移住してきたが、すっかり町に馴染んでいる。特に居酒屋の店主、早乙女拓海とは親密で、一緒に旅行にまで行った仲だと聞いたことがある。その時は、(へー、仲が良くなったんだー)とだけ思っていたが、このままでは、ひとりぼっち、取り残されるのではないか、という不安感に飲み込まれそうになった。
桜町に移住して一年。
(そういえば、僕は、ちゃんと、桜町に友達も居ないんじゃないか……)
店は、順調だ。幼い頃からの夢だった、『自分のお店』を持つことが出来て、お客さんに喜んでもらう為、丁寧に食事を作っている。気楽に使えて、特別なときにも使える、人生と生活に寄り添うようなお店―――作りは、概ね成功していると思う。お客さんは、リピートしてくれるし、少しずつ増えている。
良いお店は、幸せなオーナーが作ることが出来る、と優輝は信じて居る。
それならば、優輝自身も、幸せである必要がある。
(孤独な人生は嫌だ……)
自分のことを振り返りもしない、青年部のメンバーたちの後ろ姿を見ながら、優輝は、心に決めた。
(友達を、作らなきゃ! 絶対に、友達を作るんだ。そして、町に馴染む……っ!)
櫻(さくら)神社から、ふんわりと桜の花びらが舞い降りてきた夜、平沼優輝は、密やかに誓ったのだった。
◇◇
優輝の経営するビストロ『Antiquaires』は、夜の営業のみとなっている。
ビストロ、という営業形態であるので、酒を提供しているからだ。ワインがメインだが、クラフトビールも少し置いている。
楽しくお酒が飲めて食事が出来る店、という感じで、食事にこだわっているから、女性のグループ客や、カップルがメインだ。
「おー、平沼さん、こんばんは~」
そんな中、ふらりと一人でやってくるのは、猫(ねこ)島(しま)虎(こ)太郎(たろう)だった。ひょろりとした長身の彼は、去年から桜町に住み着いている人で、美味しいワインが飲みたいという理由で、店に通ってくれる常連だった。一人で、キッチンに一番近い二人掛けの席に一人で座る。
「あれ、今週三回目ですけど?」
「うん、今、無性に、平沼さんの作るオムレツが食べたくてさ」
オムレツは、店の名物だ。プレーンのもの、チーズの入ったもの、ホワイトソースをたっぷり掛けたもの、そして贅沢なトリュフソースを掛けたものがある。店のスペシャリテとしては、トリュフソースのオムレツだったが、値段もそれなりにする。猫島が気に入っているのは、このトリュフソースのオムレツだった。
「すぐ焼きます?」
「んー、ちょっと、ワイン飲んでからで良いかな」
猫島は店内をざっと見回してから言う。今日は、客がいなかった。花を散らしてしまうような、冷たい雨が降りしきっている。こういう日は、途端に、客足が鈍る。早い時間に予約客がいたが、すでに帰ってしまったあとだった。
猫島は、店が空いているようならば、少し長居をする。混雑しているときは、食べたいものだけを食べて帰る。さりげなく、気遣ってくれるのを、優輝は心からありがたいと思う。
「赤いワインなら、丁度、今日開けたハウスワインが、ちょっと良い奴ですよ」
「あ、じゃあ、それで。……もし、パテあるならください」
「用意しますよ。ちょっとお待ちを」
パテ……は、猫島にリクエストされて、作るようになっていた。出足は悪かったが、最近は、少し、注文してくれる客も増えている。猫島が、あちこちで宣伝していたらしい。おかげで、今年の正月用のオードブルには、このパテ……パテ・ド・カンパーニュを入れてくれというリクエストがあったくらいだ。
冷蔵庫からパテを取り出して、切り分けて盛り付ける。フレッシュなオリーブオイルと、ミルで引いた黒こしょうを掛けて提供している。
パテを運んでから、今度はワインを持っていった。
「フルボディの赤。猫島さんが好きそうな奴です」
「おー、じゃあ、それ、貰います……あのさ、もし良かったら」
と、猫島は店内を指さした。
「きょう、平沼さん、ちょっと、お仕事サボりませんか?」
「えっ?」
「……お客さん、今の時間から来なさそうだし……。良かったら、ちょっと、一緒に飲みません? ……と言っても、ここ、平沼さんのお店ですけどね。あ、今日は、俺のおごりってことで」
ははっ、と猫島は笑う。
店内は、有線で軽い弦楽が流れている。その、緩やかなチェロの音に、外の雨音が混じる。
ざーざーと。
雨が降りしきっている。今夜一杯止まない、と気象予報士が言っていたのを想い出した。
「……サボり、ですか」
優輝は今までの人生で、一度も、サボったことはない。ましてや、店の営業を取りやめたことも。
「俺は……、職業が職業ですから、人間観察って趣味、というか、もはや、職業病のような物なのですよ。そんな、俺が……、ちょっと、平沼さん、元気がないなーって思って、ちょっと、一緒にお酒を飲んでみたいなって思った訳です」
「元気がない? そんなに、あからさまでした?」
自分の不調が、他人から見える形だったとしたら、恥ずかしい。それは、社会人にあるまじき行動のような気がする。
「いや、俺は、結構、ここで平沼さんウォッチングをしていたんですよ。だから、そう思います……やっぱり、駄目ですかね」
猫島は、そう言ってから、一口、ワインを口に含んだ。静かなクラッシック音楽を鑑賞するように、目を閉じてゆっくりと、賞味しているような仕草だった。
「あ、本当だ。このワイン、凄く美味しいですね。……パテに合うだろうなー」
「……ちょっと待っててください」
「はいっ?」
「本日終了の、看板出してきます。それと、なにか、お酒のあてになるようなものを作ってきます。……それと、そんな端じゃなくて、店の中央へどうぞ。こちらのテーブルの方が広くて良いと思います。済みませんが、移動していてください」
平沼は、足早に店の外へ出た。
メニューを書いた黒板を出しているが、それをしまって、『OPEN』から『CLOSE』へドアの所の札を付け替える。
その足でキッチンへ向かい、少し考える。
猫島の好みは、把握しているつもりだ。
具だくさんのニース風サラダ。ガーリックトースト。生ハムとパテ・ド・カンパーニュ。何種類かのチーズ。それと、オムレツ。オムレツには、大量のフリットを付けている。これも、猫島の好物だったと思う。熱々のフリットだけを作って、トリュフソースのオムレツだけは、別途作ることにした。これは、〆的な感じで食べた方が良さそうだからだ。
それと、秘蔵していたワイン。フルボディの赤だ。
猫島が移動したテーブルは広々としていたはずなのに、すぐに、皿で一杯になった。
高校生のころ。友人たちは授業を抜け出してカラオケへ遊びに行っていた。けれど、優輝は一度も授業を抜け出したことはない。
高校を終え、そのあとはすぐにレストランに就職した。そこで修行をして、留学兼、現地就職をして、そしてここへやってきた。その間、全く、サボったことはない。
サボる、という言葉への後ろめたさと、すこし、冒険心に胸が、高鳴っている。
「それで、平沼さんは、一体何を悩んでるんですか」
単刀直入に、猫島は聞く。
「……この町に越してから、全然友達も居なくて」
「えー、俺は?」
不満げに、猫島が言う。
「常連さん?」
「えー、酷いなあ、俺は、平沼さんのお友達だと思ってたのに。酷いっ酷い~」
だだをこねるように、猫島が言う。
「ああ、済みません……なんだ、じゃあ、友達は居るんだ、良かった。じゃあ、次は、ちょっと、青年部に馴染めてない感じがするっていうことですかね」
「青年部?」
「ええ。桜町商店街の青年部って言うのがあるんです。お米屋さんが中心になって運営してるんですけど……皆、仲が良い感じがするのに、僕だけ、ちょっと、出遅れた感じがあって、このまま、仲間に入れなかったらどうしようかと思ってしまったんです」
そう言いながら、赤ワインを一気に呷った。フルボディの赤。強い味わいのワインだった。赤い果実の香りに混じって、鉄っぽい渋みを感じる。血、の味を少し連想した。たしかに、これなら、パテが合う。
「仲間に入れて貰えば良いじゃないですか」
「……でも、なんとなく、仲がいい人のグループが出来てる感じで……入りづらいって言うか……」
「商店街って、いろいろイベントやってますよね。ハロウィンとか、クリスマスとか。そういうときに、中心になって参加してればいいんじゃないですか?」
たしかに、それはそうだ。いつでも、自分から発言すれば良かったのだ。
「そう、いえば、そうですね」
「そーですよ。自分から行かなかったら、望む結果は得られません……なんと、俺も、偉そうなことは言えないんですけどねぇ」
はは、と猫島は笑う。
「どうか、したんですか?」
「……目下の所、スランプなんです」
スランプ、と言われて、しばし、優輝は考えた。猫島は、現在、廃業した豆腐店に住んでいる。けれど、本業は、作家だったはずだ。
「小説が、書けないんですか?」
「おっ、ズバリいくねー」
猫島は、にやっと笑ってから、赤ワインをグラスに注いだ。
「……ここに来れば何か書けるんじゃないかと思ってねー。けど、全く駄目。二文字書いて五文字削る状態だよ!」
「実質ゼロ……」
「そうそう。ゼロっていうか、マイナスになって来た気がするよ……はあ、出版社と約束してるのが、全然終わってなくてね。その間に、俺は、忘れられちゃうよ。毎年、凄い数の新人作家が出現してる世界だからねー」
「厳しい世界なんですね」
「そーそー。ビストロも厳しいとは思うけどさ。……というか、楽な商売なんか、この世の中に一つも無いだろうけど。でも、ちょっと、しんどいよねー」
猫島のグラスが、いつの間にか空になっていたのに気がついて、優輝は静かに彼のグラスにワインを注ぐ。いつもより、ペースが速いような気がした。
「あっ……赤、なくなっちゃったね」
ボトルを見ながら、猫島が言う。
「あー。ちょっと待ってください。……上に、頃合いの白と泡がありますよ。カヴァですけど。なんなら……上で呑みますか?」
「そうだねー。いつまでも、お店にいるわけにも行かないし」
「じゃあ、料理、持ってくの手伝ってください。グラスは、上にあるから大丈夫です」
「オーケー。……あー、それにしても、平沼さんの料理、めっちゃ好みなんだよね」
「ありがとう。嬉しいです……僕も、常連さんがいるから、気が引き締まりますよ」
いつもと同じ味―――を提供するのは、実は難しいことだ。
気温は違うし、野菜や肉は毎日同じ品質の物が手に入るわけでもない。物価の高騰や、諸般の事情で、材料を見直す必要があることもある。そんな中、同じ味のラインをキープし続けるのは、存外、緊張感が必要なことだった。
だから、常連が居てくれるのはありがたい。好みの味のラインから外れたら、すぐに、離れていくだろうから。
「良かったよー、頻繁にきて鬱陶しいとか思われてたら嫌だなーって思ってたんだ」
「まさか、そんなことを思うはずがないでしょう? ……それに、猫島さんから頂くお豆腐も気に入っているし」
「よかった。なんか、妙に好評なんだよね、お豆腐。いっそ、作家を辞めて、お豆腐屋さんになっちゃおうかな~」
明るく軽口を叩く猫島の言葉を聞いた優輝が、ふと、歩みを止めた。
「あなたの作品を読んだことはないんですけど……それは、あなたのファンに失礼でしょう?」
「えっ?」
「あなたの作品にもファンがいるのでしょう? だとしたら、その人たちは、あなたの作品を待っているんでしょう? ……なのに、急に全部放り投げて、お豆腐屋さんになるなんて、無責任ですよ」
猫島は、目をまん丸くした。いつもは細い目が、猫のように、まん丸になった。
「……マジメだねぇ」
「それくらいしか取り柄はないですけど……、誉めてないのも、解ってますよ」
「いや、誉めてるよ。それで、今は、ちょっと、驚いてる」
猫島は、なにやら意味深なことを呟いて、薄く笑った。
優輝の部屋は、あまりものがない。料理以外の趣味はなかったので、料理に関する本が少々、インテリアに関する本が少々。あとは、インテリアらしいインテリアもない。
「へー、シンプルなんですね、ミニマリスト?」
「そういうわけじゃないですけど、ものに囲まれて過ごすのって、結構疲れませんか?」
「そーいう考え方もあるよね。俺は、逆にものがたくさんあった方が落ち着くよ。きっと、何にもない空間と、都会の雑踏は、同じなんだと思うんだ」
あまりにも多く物がありすぎても、なにもないのも大差ないと言うことだろう。
「そういう考え方もありますね」
「うん。あ、これ、料理は、テーブルに置いてオッケー?」
「ああ、お願いします。……猫島さん、何呑みます?」
「さっき、赤だったから、白が良いかなあ」
「じゃあ、白で。辛口で良いですよね?」
「あ、その方が好み」
今日の料理ならば、ミネラル分の高い白ワインが合うだろう。そして、香りが華やかすぎないもの。キッチンの奥にある自宅用のワインセラーから、一本、白を取りだしてくる。フランス産のものだ。それを、ソムリエナイフを使って、手際よく開けていく。その様子を、猫島がじっと見ている。
猫が、じっと、一点を見ているような趣がある。
「平沼さん、ソムリエの資格とか持ってるの?」
「えっ? ああ……まあ、一応」
「へーそうなんだ。じゃあ、凄い数のワインとか勉強したんだ。凄いなあ」
「まあ、勉強はしましたけど。基本、お酒は、楽しく飲めるのが一番だと思います。僕は、品評会の評価とか、いろいろ気にする人とかは、苦手です」
「だから、楽しく飲めて美味しく食べられるビストロなんだ」
猫島は、なにやら納得しているようだった。グラスを二つ出して、ワインを注ぐ。スッキリとしたワインの香気が上がってくる。
「ああ、良い香り。なんか、生牡蠣とかに合いそう」
「生牡蠣はないですけど、缶詰の牡蠣のコンフィなら」
「でも、それ、平沼さんの、個人的なおつまみなんでしょ?」
「いや、召し上がるなら」
「今日は遠慮しておく~。あ、本当に美味しい……。チーズとガーリックトーストがはかどる……」
大げさに喜ぶ猫島は、ソファの上でもだえて居る。その隣に優輝は座った。この部屋に、椅子は一つ。このソファだけだ。たまに自堕落な気分になったとき、寝転がりながらテレビを見て一日を過ごすことがある。その為のソファだった。
(そういえば、この家にお客さんが来たの、初めてだ……)
引っ越してから、業者は出入りしたが、知り合いは一人も来ていない。一年。何をしていたのだろうかと、気分が落ち込んでいく。
「……猫島さんは……、なんで、作家に?」
「あー……何でだろうね。なんか、勢いで書いたんだよ。それをやけになって新人賞に送りつけたんだ。そしたら、そこそこの成績を取ってさ。それで一生懸命に書いたのに『そこそこ』ってなんだよって腹が立って、賞に挑んで……次の作品は最終選考に残ったんだけど、結局落ちて……そうしたら、編集者が会ってくれることになって、会ってみたら、運良く選考委員の先生が、一緒で……一緒に飲みに行ったんだよね。そうしたら、『君には素質がある』ってさ。それを、編集者が盛大に勘違いしたんだよ」
「才能があるって言うことじゃないんですか?」
「はぁ……才能なら良いんだけどさ。うーん、『君には作家の才能がある』っていうと、文章力とか、そういう所に目が行くじゃないか」
「普通はそうですよ。違うんですか?」
「うん。その先生は、最後の文豪って言われている、現在九十過ぎのクソジジイなんだけどさ、その先生、作家になるには一番なにが大事だって言いやがったと思う?」
酔っているのだろうか、と優輝は少し、顔が引きつる。いつもより、猫島は、言葉が悪い。
「……わ、からないです」
「あのクソジジイ……、作家に一番必要なのは『前借りの才能だ』なんてことを言いやがるんですよ」
「前借り?」
「そーそー。前借りして、原稿を書けっていうんですよ。それで、俺は、一目見て、『こいつは、平気で前借り出来る。そしてそのまま踏み倒して行くことが出来る逸材だ』って思ったんだってさ。そして、編集者は、小説家としての『十年に一度の逸材』とか勝手に勘違いして……まあ、自分の本が出版されるのは、凄く嬉しいんだけど……。今のところ、ちょっと、書けなくてさ……」
優輝は、なんと返答して良いものか、全く解らなかった。
秀逸な答えを返すことが出来る人がうらやましい。少なくとも、優輝には、そんな才能がないと言うことだけは、露呈した。
「……平沼さんの悩みも教えて貰ったし、俺の悩みも出したし、これで、おあいこってことでね」
「おあいこ、とかあるんですか?」
おかしくて、優輝は笑ってしまう。
「まー、ありますよ。そりゃあ。……弱みを握られたみたいで、嫌じゃないですか?」
「僕は、そんな風には思わないかな……。だって、信用してる人にしか、こういうことは相談しないでしょう?」
優輝の言葉を聞いた、猫島が、目を丸くしてから、フッと笑った。
そんな猫島の様子を見ながら、優輝は、ワインを一口含む。思った通りの味わい。軽く、甘さはなく、清涼でスッキリとした味わい。それでいて、華やかな香り。白い花。青リンゴ。蜂蜜の香り……。頭の中が、スッキリするような感じがある。
「……平沼さんは、なんで、今日、サボってくれたんです?」
ワインを楽しんでいた余韻をかき消すように、猫島が、不意に問いかけてきた。
「えっ?」
猫島は、わずかに、目を伏せる。ワインを静かに傾けて、チーズを一つつまんだ。熟成の進んだコンテだ。栗のような、こっくりとした味わいがある。
「今までサボったことがない人が」
うすく、猫島の唇の端に笑みが乗る。
「それは……、よく解らないです。そういう、気分だった……だけじゃないですか?」
猫島が、すこし、身体を乗り出した。顔が近い、と思った次の瞬間、猫島の唇が、優輝の唇に触れていた。
冷たい、唇だ、と思った。
角度を変えながら、何度も、唇が重ねられる。
どういうつもりなのか、優輝は、目を開けて猫島の様子をうかがう。猫島も、目を開けていた。
唇は、もはや、冷えてはいない。むしろ、熱かった。熱くて、柔らかい唇が、優輝の唇を食んだり、強く押しつけたりしている。首の後ろに、手が回ったのを、優輝は感じながら、横目でテーブルの上を見た、まだ、料理は残っている。開けたばかりの、白ワインも。
唐突に唇は離れた。
けれど、まだ、至近距離を保っている。いつの間にか密着した身体が、熱い。服越しに、猫島の身体を感じる。男の身体だ。