【試し読み】桜町商店街青年部ただいま恋愛中! 11: Crossroad

桜町商店街青年部ただいま恋愛中! 10: Position

桜町商店街シリーズ

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「あれ、父さん、どこか行った?」
 父親に用事があって、居間に向かった鐘崎周平(かねさきしゅうへい)は、そこに父親がいないことを知って、台所にいた母親に尋ねる。夕飯もとうに終わって、明日の為になにか料理を仕込んでいるところのようだった。煮物らしき、醤油と食材の匂いがしてくる。冬になって、家のおかずは煮物が多くなった。
「あー、お父さんなら、スナックよ」
「そっか」
 桜町に唯一あるスナック『亜魅吾(あみーご)』。
 父親は、そこの常連だった。
「今日も、先生と一緒に行ってるわよ。まあ、家でお酒飲んでても、鬱陶しいから良いけど」
 母親の愚痴が長くなりそうなので、「そうなんだ、じゃあ、明日聞くよ」と早々に、部屋に引き上げることにした。
(父さん、しょっちゅう、先生と一緒にスナックに行ってるよなあ……)
 先生、というのは、鐘崎家に居候中の、小学校教諭、柏原玲(かしはられい)の事だ。この街に来て数年になるが、その間、ずっと、柏原は鐘崎家に居候している。
 柏原は、桜町では最近、中々、アパートなどの居住先が見つからないと言うことで、隣町のインターネットカフェで過ごしていたらしい。しかし、そこが放火による火災に遭って、住む所を失ったのだった。そして、どういうわけか、鐘崎家に住まうことになったというわけだった。
 小学校の教諭というのは、事前に、次の勤務先を知らされてはいないらしい。四月になってから、いきなり転属を告げられ、次の教諭と引き継ぎもそこそこに、別の赴任先に行くという過酷な現場ということだった。しかも、四月ときたら、新生活の為、アパートを探すのも難しくなっているだろう。
 大学生や就職、転勤の場合は、二月くらいにはもう、部屋を決めているものなのだ。
(部屋は探しているらしいとは聞いたけど、不動産屋が紹介してくれないって話ししてたな……)
 桜町には、商店街に不動産屋が一軒ある。その名も『桜町不動産』というが、どうにも、ここの対応が良くないらしい。
(学校の先生なんて、今時大変な職についてる人なんだから、優遇して上げれば良いのに)
 とは思うが、柏原が一緒に生活していることで、別に迷惑も蒙っていないからまあ良いか、と楽観的に考えていた。
(いや)
 少しだけ、嫌なところはあった。
 タバコだ。
 周平は、布を扱う仕事をしているから、タバコの臭いが付くと困る。
 小学校の先生、のはずなのに、毎日のようにスナックに入り浸っているし、タバコも吸っている。さすがに、学校には、付けていかないらしいが、家では、沢山のピアスを付けている。いつも、気だるげな姿だが、どうやら身体は鍛えているらしい。インターネットカフェの放火犯を捕まえたのは、柏原だった。
 テストの採点や、学級新聞の作成、その他書類作業など、学校の先生の仕事、をしている光景はたまに見かけるが、実家などとやりとりをして居る風情はない。
 長く一緒にいるが、どうにも掴めない人だ、とは思う。
(まあ……小学校の先生の赴任期間って、数年くらいだもんな)
 その間、鐘崎家にいるということで、父親が納得して居るならそれでいい。
 それよりも―――。
 周平は、部屋一杯に拡げられた布の山を見やった。
 今は、居候中の小学校の先生を気にするより、自分の仕事に向き合うべきだ。
 手のひらで両頬をパンッと叩いて気合いを入れた周平は、作業に戻ることにした。


  ◇ ◇ ◇


 気が付いた時には、朝だった。
「あっ……しまった」
 作業をしながら寝落ちしてしまったようだ。ハサミを持ったまま椅子に座って寝ていたようだが、布の中に顔を突っ込んで寝なかったのは、さすがだ、と周平は自分で自分を誉めてみた。
 現在、朝五時。外はまだ暗かったが、とにかく冷える。暖房を付けていても、築年の古い鐘崎家は、あちこちから隙間風が入ってくる。本当は、ストーブの方が良いのだろうが、布を扱っていると、石油ストーブは使いにくい。火が付いたら危ないし、割と石油ストーブの匂いが気になる。
「あー……身体が痛い……」
 変な体勢で寝てしまったらしく、身体がきしきしと痛む。肩を回しながら、周平は一度顔を洗ってこよう、と部屋を出た。家の中は、まだ皆寝ているらしく、寝静まっている。
 あと少しすれば、朝食を作る為に、母親が起き出すだろうが……と思っていると、鐘崎家の小さな庭から、シュッと風を切るような音が聞こえてきた。
(ん、なんだ?)
 玄関に置いてあったサンダルを履いて、外に出る。つん、と肌を刺すような冷たい風が吹いていて、思わず周平は身を縮こめた。庭先には、霜が降りていて、暗い中、白く輝いているようだった。
「う~、寒い……っ」
 身体を抱いて、庭を見やったとき、周平は、意外な人物の姿を見た。
「あれ、先生」
 そこにいたのは、柏原だった。シャツ一枚の軽装なのは解った。
「……あれ、周平さん? どうしたんですか、こんな時間に」
「いや……、庭から変な音がすると思って……」
「ああ」と柏原は事もなげに呟いて、「素振りをやってるんです。これ、ずっとお借りしてました」と周平に何かを渡す。渡された瞬間、周平は、ものすごい羞恥心に襲われた。
「こ、これ……中学校の修学旅行で買った、木刀……っ」
「まだ取ってあったみたいで……あ、実は、担任してる子達にも見せました」
「えっ? なんでっ!?」
「……よく、修学旅行で、木刀を買う子もいるけど、大人になっても大切に出来るなら、木刀を買っても黒歴史にはならないから安心してと」
 周平は頭を抱える勢いだった。自分の『黒歴史』をあちこちにばらまかれていると思ったら恥ずかしくて、消えたくなる。おかげで、今まで寒かったのが一瞬で暑くなった。今は、顔どころか、全身から火が出そうなほど熱い。
「……それで……なにを」
「小さい頃から、いろいろ武道みたいなのをやってたんです。いざという時に、身体が動かせないと困るので、朝稽古代わりに、ランニングと素振りだけは」
 さらっという柏原に、おもわず周平は、「はあ……凄いですね」と感嘆を漏らす。すくなくとも、周平は、朝起きてランニングするのは無理だ。
「他にも何かやってるんですか?」
「体育クラブの顧問を兼ねて、子供達と一緒に運動しますし、あとは、夜のランニングも……これは大した距離ではないですけど。三十分くらい?」
「毎日?」
「ああそうですね。やらないと、もはや気持ち悪いんですよ」
「そうなんですか……意外に、身体を動かす系なんですね。文系の先生だって聞いていたから、てっきり、インドアなのかと思ってました」
「まあ、国語が専門なので、インドアですよ。大学時代は、近代文学が好きでした。でも……いざというとき、身体を動かせないと、守るべきものも守れないじゃないですか。それだけは、やりたくないので、やれることはします。そういう感じです」
 柏原は「じゃあ、私はトレーニングを続けるので」と言うので、周平は、退散することにした。
 背後からは、シュッ、シュッと風を切る音が聞こえてくる。
 まさか、中学校の修学旅行で買ってきた、黒歴史そのものの木刀が、まだ家にあるとは思わなかったし、それが誰かに有効活用されているとは思わなかった。そして、柏原の受け持ちの生徒たちに見せられていたというのも、全く予想外だったが、なんとなく、いつも気力がないような感じの柏原が、存外、職務に一生懸命というのを知る事が出来たのは良かったと思う。
(生徒達を守る為に……自分を鍛えてるとか、ストイックだなあ……)
 最近では、変な人たちも多い。小学生や中学生のような、弱い人たちをターゲットにした、無差別な暴行などもある。それを思えば、身体を鍛えておくに越したことはないのだろう。
(そっか、こうやって鍛えてるから、あの人、放火犯とか捕まえたのか……)
 同じ屋根の下に過ごして数年経つが、見えていないことも多いものだ、と周平は、思いながら居間へと向かった。
 湯を沸かして、コーヒーを飲んでから、作業に戻ろうと思ったのだった。
(先生も飲むかな……たしか、コーヒーは嫌いじゃ無かったと思うけど)
 二人分のコーヒーを入れる事にして、周平は、準備をし始めた。
 特に、コーヒーを淹れるのにこだわりを持っているタイプではなかったが、一通り、最低限ドリップコーヒーを入れる為の道具は揃っている。オーソドックスなペーパードリップの道具だ。湯を沸かして、市販のコーヒー豆を使って淹れるだけだが、周平にとっては、ちょっとした贅沢をする時間という位置づけだった。
(コーヒーなら、佐神くんのところとか、喫茶店に行っても良いんだけどね……)
 一人の時間に自分だけの為に淹れるのは、悪くはないと思っている。
 丁度、保温性の高いステンレスマグを、いくつかノベルティで貰ったのがあったので、それを引っ張り出してくる。今日は、部屋で飲もうと思っていたし、柏原の為に、置いておくなら、冷めない方が良い。
 二人分のコーヒーは、上手く淹れられたかどうか解らない。
 電話の横に置いてあるメモ帳を引っ張り出して来て、一言書いて、コーヒーに添えた。

『朝稽古お疲れ様。よかったら。コーヒーです』

 部屋に戻った周平は、そのまま作業に没頭した。


 朝食後、「周平さん」と呼びかけられて、振り返る。柏原に呼ばれたのだった。
「あ」
「コーヒー、ありがとうございます。美味しかったです……学校ではよく飲むんですけど、朝一番のコーヒーは、ありがたかったです」
「あ……いや、ついでだったんで」
 なんとなく、お礼を言われるとむずがゆいような気になって、周平は、落ち着かない気分になってくる。
「そういえば、周平さんって、なんの仕事してるんですか? 在宅だなとは思ってたんだけど」
 数年暮らして、一度も聞かれたことがなかったな、と思いつつ、周平は、答える。
「服を作ってます。……大体、インターネットで売ってるんです」
「デザイナー?」
「デザインもするし、パターン型紙も引くし……いろいろです。全部一人でやってるので」
「へぇ」
 柏原の薄い反応に、周平は、(おや?)と思った。大抵、デザイナーという言葉が出ると、『凄いね』『才能があるんだね』という言葉に落ち着く。それが出なかったことが、意外だった。
「それにしても、ここ最近、寝るのが遅いみたいだけど。ちゃんと寝てる? 大体、寝ないと、作業効率は落ちるものだよ」
「……それを言うなら柏原さんこそ……。一体、いつ寝てるんですか。深夜と早朝にランニング入れてる人に、言われたくないですよ」
「私は、健康的ですよ」
 確かに、ランニングをしているというのだから、健康的ではあるだろう。
「今が、作業の山なんですよ。今度、服の展示会やるんです。……今まで、インターネットでしか見られなかった僕の服を、リアルで見て貰うイベントで……その準備が大変なんです」
「展示会って、作った服を、展示するんですよね?」
「そうですね」
「どこでやるんですか?」
「……昔、金物屋だった場所です。廃業して、空き店舗になっているから、そこを借りて……」
 ふうん、と呟いてから、柏原は何やら思案するように天井を見上げる。
「金物屋って、飴屋さんの隣ですか?」
「えっ? ……ええ、そうですけど」
「内装とか、いろいろ人手が必要ですよね。……良かったら、私もお手伝いしたいんですけど、どうでしょう」
 思わぬ申し出だった。
 そして、内装、と言われたときに、ぞっとする。確かに、内装も必要だった。今、金物屋が、どういう状態なのかも、完全には把握出来ていない。
「実は……学校では、出し物とかで、内装の飾り付けとかは良くやる都合もあって、内装業の知り合いもいます。最悪は、プロの手を借りる必要もあるかも知れませんけど……、人手は沢山必要だと思いますよ」
「でも……、お忙しい、でしょう……?」
「私は、受験生を抱えているわけではないから、余裕はありますよ。それに、この町、放火事件とか、色々あったから……心配なんです」
 放火事件―――。
 たしかに、何度か、放火事件が起きている。それを考えれば、一人で、展示会の準備をしているのは、問題が起きたときに、対応しきれないかも知れない。
「……ご無理なら言ってくださいね」
「いえいえ、この家に居候させて貰ってしばらくですし、たまには働かないと」
 柏原は、明るく笑った。なんとなく、作ったような微笑みだとはおもいつつ、手を貸してくれること自体は、ありがたい。
「……ありがとうございます、柏原さん……」
「じゃ、あとで、打ち合わせしましょう。いつまでに何をやるのか、ちゃんと、リストにして工程を決めておかないと、その時になって、困り果てると思います」
「仰るとおりですね」
「じゃあ、私は、学校に行くので、そろそろ」
 ぺこりと一礼してから、玄関に向かおうとした、柏原の背中に、「あっ。行ってらっしゃい」と声を掛けると、柏原が、くるりと振り返った。
「?」
「……行ってきます。なんか、いいもんですね、見送られるのって」
 やんわりと笑んで、柏原は去って行く。
 周平は、初めて、柏原を見送ったが―――柏原の、柔らかい笑顔も、初めて見たかもしれない、と少しだけ、胸がどぎまぎした。


  ◇ ◇


 鐘崎家は、家業として、洋品店を営んでいる。
『カネマル』という洋品店で、主な顧客は、近所のおばあちゃん達。それと、小学校の体操服という店だ。ショッピングモールには絶対に売っていないだろう、おばあちゃん達向けのベストだとか、ズボンだとかを売っている。謎の色彩感覚の商品だ。
 桜町にはお年寄りが多いので、それなりに商売にはなっているが、一家が暮らしていけるほどではない。
 周平は、家の仕事(といっても、店番と、仕分けとか事務方面)の手伝いをする傍らで、本業としては、服を作ってネット販売している。
 インディーズの服ブランドというイメージだ。
 今では、個人店舗向けECサイトサービスなどもあるし、個人で少ない数の服を作ることも出来る時代になってきている。
 売上げは、上々だと、周平は思っている。少なくとも、周平にとっては、満足出来る収入を得ることが出来て居る。一人暮らしは出来ないが、実家住まいで、家にいくらかのお金を入れつつ、多少、自分で好きなものを買うくらいの収入がある、という意味だ。
(もっとも、田舎の桜町なんて、お金を使う場所もないけどね……)
 幼なじみや、商店街青年部の人たちに誘われて、幼なじみの経営する居酒屋に行くことがあるくらいしか、お金の使い道がない。
 困ったものだとは思うが、そのおかげで、少しずつでもお金は貯まった。東京のオシャレな街の一角で、スペースを借りて展示会をするということは出来ないが、桜町でならば、展示会をするくらいの貯金が出来たのは幸いだった。
 ネット上でやりとりをしている、インディーズの服屋仲間は「ちょっと前は展示会をやるのは意味があったけど今は殆どやる意味はないんじゃないか」「地方でやっても、誰の目にも留まらないから無意味では」というネガティブな意見があった。
「父さんなんか、青年部のTシャツを作るのかって言ってたくらいだしね……」
 まずは、今、自分がやっていることを誰かに伝える……ことだけでも大切なのではないか。何が正解か解らない中、藻掻いているような状態だった。
「展示会に来てもらうために……」
 インディーズの服屋仲間は、あちこちのショップにフライヤーを置いて貰ったらしい。
 周平も、それくらいなら出来ると思う。青年部に呼びかければ、何店舗か、フライヤーを置いてくれそうな店はあるかも知れない。
(拓海なら置いてくれるだろうけど……)
 居酒屋の店主・早乙女拓海は、周平とは幼なじみだ。だから、快く力を貸してくれるだろう。だが、問題は客層だ。居酒屋の客は、殆ど地元桜町のオジサンたちだ。周平の服の顧客ではないだろう。

『展示会をするなら、コンセプト作りが重要だよ。その為のブランディングとビジョンがどれくらいしっかりしているかが問題だね』

 そんなことを言われたのを思い出す。
 ブランディングも、ビジョンも、良くわからない。
 作りたい服をそのまま作ってきてしまった。
「……なんか、やることが一杯だけど、柏原先生も付き合ってくれるし、頑張らないと」
 気合いをいれて作業に戻ろうとしたとき、メッセージが入ったのに気が付いた。
「あれ、だれだろ」
 見れば、相手は、ときとう時任まなぶ学だった。
 今は、駐車場になっている場所に、かつて、『時任時計店』という時計店があった。鐘崎家にも、この時任時計店で購入した柱時計が、今も元気に稼働中だ。店じまいをしてしまった時任時計店だったが、外国に修行に出てきた息子の学が、今は、ほそぼそと時計店をやっている。
 幼なじみの山本が、学と親しいらしく、その経由でやりとりをして貰っているところだった。

『こんにちは。この間、いま、うちの町でもチラシとか、サイトのロゴとか作ってくれる人がいるって聞いたけど、紹介して貰える?』

 学は、現在、実店舗を持っていない。周平と同じように、ECサイトのみで運営をしている。そこで、いろいろ、入り用になったものがあるのだろう。サイトのロゴなどは、お店の『顔』になる部分なので、気合いを入れて作る必要がある。素人がワードのテキストを組み合わせて作ったようなロゴを見かけることがあるが、店の雰囲気や、目指しているものなどを提示することが出来て居ないので、勿体ない気がする。
 とはいえ、周平のブランドも、ちゃんとしたロゴやサイトを作れているかどうか、不安になる。周平も、一度、相談に行った方が良いかもしれない。

『じゃあ、向こうに連絡してみます。僕も一緒に行って良いですか? ちょっと相談したいことがあって……』

『勿論良いよ。街のことも久しぶりだから、よく解らなくなってるし、案内して貰えると心強いよ』

『解りました、じゃあ、ちょっと連絡してみますね』


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