【試し読み】桜町商店街青年部ただいま恋愛中! 12: Trajectory

桜町商店街青年部ただいま恋愛中! 12: Trajectory

桜町商店街シリーズ

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 最近、入江栞(いりえしおり)の周りを目障りにもウロチョロしている人間がいるのは、杉山も知っていた。
 栞の営む飴屋『ウサギの飴屋』の東隣の、潰れた金物屋が改装しているのが原因なのだ。現在、潰れた金物屋は、洋品店の一人息子が買い取って、イベントスペースを作るということだった。それ自体は悪いとは思わないのだが、二階には彼らの住居が作られるという。そして、洋品店の息子、鐘崎周平と同居のパートナーという男、柏原玲が、ちょくちょく、入江のそばをウロチョロしているというわけだった。
 柏原という男は、一見すると、どうにも堅気にも見えないような男だったが、職業を聞いて、杉山は首をかしげているところだ。
 柏原の職業は、教師だという。
 ここ、桜町商店街の最寄、桜町小中学校の、小学校の教諭、というのが現在の彼の立場だ。
(なんつーか……かなり、身元はしっかりしてるってことなんだがなぁ……)
 身のこなしは、ふつうではない、と思う。
 そして、毎日のように入江のところへ来るが、入江は彼に対しては素っ気ない。空気のように扱うか、冷たく一瞥するか、だった。
 少なくとも、杉山はそういう顔をされたことはない。
(まあ、俺と入江は一応……付き合ってる……になるん、だよなぁ)
 入江は認めたくないのかもしれないが、杉山と入江は週に何度か親密な時間を過ごしている。入江の住む、桜町には珍しい高級マンションを訪ねていくのは、何度目なのか、もはや、数えることは無意味な状態になっているだろう。
 ただ、入江は、前にこう言っていたのを、杉山は忘れられない。

『僕、ヤクザって嫌いなんだよ』

 あれは、杉山のことではない、と杉山は思っているが、入江本人に聞くことはできなかった。
(まあ……そのうち、聞かなきゃならなくなるんだろうが)
 今はとりあえず、入江の周りを飛び回る、あの柏原という男が邪魔だった。


◇ ◇


 残暑がかなり厳しい。
 現在、夜七時を回ったところだったが、外気温は三十度をかるく超えている。
 杉山は、『職業柄』、背広を脱ぐことができない。なので、額から流れる汗をハンカチで抑えて、入江の飴屋の裏口へと回った。
 途中、鐘崎周平とすれ違ったが、周平は、杉山が入江のところに出入りしているのを知っているので、特に、何も言わず「こんばんは」とあいさつしてきたので「おぅ、お前も、頑張ってんじゃねぇか」と返しておくと、「今年中には、イベントスペースをオープンしたいって思ってるんですよ」と気さくに返してきた。
 地元のヤクザ、としては住民から蛇蝎のごとく嫌われているといろいろとやりにくいので、この程度でいいのかもしれないが、ヤクザと普通に会話してくることについては、桜町は、少し独特の雰囲気があるとは、杉山も思っている。いい意味で、『昔ながら』の街なのだろう。ほかの街ならば、目も合わせない。
(そういえば、入江も、……肝は据わってたな)
 ヤクザだとわかっていて、杉山に突っかかってきたのは入江だった。
 そして、おちょくられるようになって、気が付いたら、肉体関係を持っている。よくわからない関係だが、別に、関係性に名前を持ちたがったり、約束めいたものも欲しいとは思わないので、そこは気にしていない。
「おーい、入江」
 と言いながら飴屋の裏口のドアを開いたとき、そこで、柏原が入江に向かってなにやら懇願しているのが見えた。

「だから、お願いします。坊ちゃん。たまには……実家に戻ってくださいよ!! 今、組長(オヤジ)が、体調を崩して、入院されてるんです。一度くらい……っ!!」
「しつこいよ。俺は別に、あの組とは、無縁なんだよ。それは、あの人たちも良くわかってるはずなんだ」
「だけど………っ」
 
 二人は興奮していて、杉山が入ってきたことにも気が付かない様子だった。
 しかし、杉山のほうは、気が気ではない。
(え……? オヤジって……組って……それに、こいつ、坊ちゃんって言ってたな……)
 混乱する杉山は、そのまま帰ろうかと思っていたのに、体は、まったく違う反応を示した。
「なあ……入江……お前、もしかして……ヤクザなのか?」
 杉山の声を聴いた二人が、ぎこちなく、杉山のほうを見やった。
 三人とも、どう口火を切れば良いか――躊躇って、ぎこちなく、互いの顔色を窺っていた。









 杉山と、入江、柏原の三人は入江の飴屋の店舗の床に座り込んで、顔を見合わせていた。
「坊ちゃん、そろそろゲロったほうが早くないですか?」
「うるさいな、だいたい、その『坊ちゃん』ってやめろってずっと言ってるだろ。なんで……はあ……」
 入江がため息を吐いてうつむいたので、杉山が「えーと、とりあえず、俺が今わかった情報の答え合わせしていいか?」と口火を切った。
「どーぞ」
「……入江は、どっかの組の組長の息子。で、お前はそこの組の構成員。で、おまえのところ組長(おやじ)さんは、目下のところ、体調を崩していると」
「概ね、あってる」
「で、私は、坊ちゃんの護衛としてずっと生きてきた感じです。桜町に来たのも、坊ちゃんが居るためなんで」
「はぁ……」
 杉山は思わず息を吐いた。なんとも言えない。
(ちょっと待てよ、俺も他所の組長の息子と懇ろになってたら、マズいんじゃねぇか?)
「差し支えなければ、どこの組か教えてもらえたら」
 入江と柏原は一度顔を見合わせてから、「大山(おおやま)組ですよ。現在の組長、磯早迅(そはやじん)は、坊ちゃんの実父です」と柏原が告げる。
「ちょっ……ちょっと待て……」
 杉山は動悸がして、胸元を抑えた。大山組は、杉山の所属する霧立(きりたて)組の上部組織だ。四次団体の霧立組に対して、大山組は、その本部。そこの『ご令息』ともなれば、杉山のような、三下がかかわることができる相手ではない。
「こ……これは失礼を……」
 思わず頭を下げた杉山に、「僕、ヤクザじゃないから……ヤクザは嫌いなんだよ。そういう環境で育ったからね。うちは、三人兄弟なんだけど、母親は違う。組は、兄が継ぐことになっている。だから、僕は一般人で、……こいつみたいなのが、うろちょろするから迷惑この上ない」と入江が静かに告げる。「だから僕は、そういう、ヤクザ世界の上下関係とかは、関係ないんだ」
「あ、私は、バッチリ構成員ですからね。……杉山さん、いろいろ気を付けてくださいね」
 柏原がにやっと笑ったのを見て「承知しました」とだけ返事しておく。ヤクザの世界ならば、上の立場の人間からの返答は、イエス以外には存在しない。
「しかし、……その、柏原の兄さん……とお呼びすればいいんですかね。構成員なのに、公務員やれるもんなんですかい?」
「ああ、わりと警察に入ったりしてるやつもいるからねェ。そこは、いろいろあるんだよ。それに、一応、学校では割とまじめな先生だよ。スナックでも様子は知ってるだろ?
 ……スナックに出入りしてたのは、坊ちゃんがよく来るからだったんだけどね」
「それで、洋品屋のおっさんに付き合ってたのか」
「そうそう。……別に、組長(オヤジ)に報告するとかじゃないんですけどね……私が、坊ちゃんを心配してきていただけで」
「……なにかあったら、こいつだって、それなりの腕っぷしだろ」
「それはそうなんですけど……」
 柏原が唇を尖らせたとき、入江が「もうそろそろいいだろ」と立ち上がった。
「えっ、なんですか、坊ちゃん……それで、組長(オヤジ)のお見舞いは……」
「遠慮しておくよ。そういう時に、しゃしゃり出ると、兄たちも動揺するだろ。跡取りに名乗りを上げるんじゃないかとか、遺産がどうとか……僕は、桜町の飴屋で満足してるんだよ。今まで、どんな街に行っても、どこかでヤクザの息子だって、気づかれて地元のヤクザがやってくる。……ここは、そういうことがなかったから、霧立組の組長さんが、結構配慮してくれてるんだと思う。僕は、静かに、まっとうに暮らしていきたいって……父は分かってくれるはずだよ」
 静かに、淡々と語る入江を見て、杉山は、虚を突かれた。
 はじめて、入江の本心を知ったように思えたからだった。
(どこに行っても、ヤクザに付きまとわれる人生……)
 それは、めんどくさいことこの上なかっただろう。
 そしてそれが、かつて杉山が聞いた『ヤクザは嫌い』という入江の言葉の、真意なのだろう。だとしたら、その言葉は、杉山が表面的にとらえてきたよりも、もっと、深い意味を持つ言葉だということだ。
(こいつ……俺が、桜町に来たのを見たとき、どう思ったんだろう……)
 入江の『正体』を知らない間ならば、よかったが、知ってしまった今、今までと同じ付き合い方をすることは、杉山にはできない。
 まっとうに生きていきたい、と言ってここ桜町に来たのだろうから。その気持ちは尊重したい。
(別れるか……)
 そう決意したとき、ふいにおかしみが込み上げてきた。
 そもそも、この関係は、なんなのか、杉山自身もわからなかったではないか。
 少なくとも、入江のほうは、別に『恋人』のようなことは考えていなかったのだろう。ただの気まぐれ。それが長引いていた。ただ、それだけだ。
「あの」と杉山は声をかけた。
「なに? 杉山さん」
「部外者が差し出がましいことをいうのは、承知なんですが」と前置きしたうえで、杉山は、入江の顔を見た。入江のまなざしは、いつものように、凪いで澄んでいた。
「父親が、生きてるなら、生きてるうちに……やれることはやっておいたほうが良いですよ」
「杉山さん?」
 柏原が首をひねる。
「俺ァ……、自分の父親の死に目には会えなかったんですよ。それは、ちょっと後悔してまして。生きてるときは、ウザかった父親ですが、死んじまったら、何もできねェんですわ。だから、後悔しないように、なさってください」
 じゃあ、邪魔しました。
 頭を下げて、杉山は裏口へ向かっていった。
 家族は、逆鱗にもなりかねないが、一番の後悔にもなりかねない。
 将来の入江にとって、一番良い選択をして欲しいと、杉山は心から思う。そして――。
(もう、会うのは、止めだ)


 どのみち、不自然な関係なのだ。
 それならば、今、やめてしまったほうがお互いのためだ。
 外の空気は、ひどく蒸して湿度が高くて不愉快だった。本当なら、スナックへ行っていっぱいやりたいところだったが、スナックは入江も常連だ。なので、家へ帰って、寝るだけだ。せいぜい、途中で缶入りの発泡酒でも買って、寝酒にやって、そのまま寝てしまったほうが良い。
 本家筋の組長の坊ちゃん。
 そんな人物とは、つり合いが取れない。
「あ~……、天空(しえる)にも、もう飴屋に近づくなって言わねぇとな……」
 舎弟の天空、入江。三人で飴屋で過ごす時間は、杉山にとって、代えがたいものだったというのは、今、知った。
 軽口をたたきながら笑いあっている時間。そんな他愛ない時間を、もう過ごすことがないと思ったら、胸のなかがぽっかりとあいたような、喪失感がある。
(バカは俺のほうか)
 自分が、入江と過ごす時間をどれほど大切に感じていたか、今まで知らなかったのだから……。
 自宅までの道のりは、やけに、遠く感じた。

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