【試し読み】桜町商店街青年部ただいま恋愛中! 外伝1: -Rain note-

桜町商店街青年部ただいま恋愛中! 外伝1: -Rain note-

桜町商店街シリーズ

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 例えば。
 人が産まれたら必ず死ぬように、ありとあらゆるものが、生まれた瞬間に滅びへと向かっているのだろうか。
 緩慢に。或いは、急速に。
 だとしたら、その流れにあらがうことは、愚かにも思える。
 時計の文字盤とは違うのに。
 止まったままの時計を見つめながら、山本裕太(やまもとゆうた)は自分の部屋から窓を開けて、桜町を見下ろした。昔ながらの商店街。屋根と屋根がくっつきそうなほど密集した、古い建物。少しずつ、真新しい建物が建っているのは、流れに、逆らうものたちがいる証だ。朝の七時。人影はまばらだ。かつて、この時間は、行き交うサラリーマンたちで溢れていたはずだった。そして学生が混じり、小学生が入り混じり、そうして、八時半近くまで、人が行き交っているはずだった。
 だが、今は、人は、数えるほどだ。
 時計の文字盤は、永遠に同じ場所を回り続ける。十二の文字から一を過ぎ、二を過ぎ……中間、丁度半分の六を過ぎ、また、十二へ戻る。その繰り返し。
 けれど、永遠を体現する時計さえ、壊れてしまえば、留まって、そこからすすむことは出来ない。永遠に。
(なら僕は、止まった針みたいだ)
 どうして良いのか解らずに、どう動けば良いのかも解らずに、留まっているだけだ。

 LINEの着信があることに気がついた裕太は、メッセージを確認する。発信者は、幼なじみの二階堂(にかいどう)和樹(かずき)からだった。

『桜町商店街青年部
 今日の夕方、臨時の集会を行うので参加されたし。
 場所は、桜町米穀店』

 了解、とだけ送って、溜息を吐く。幼なじみの和樹は、殆どシャッター街と化していた桜町商店街を再生させるべく、奔走している。裕太も、幼なじみとして手伝うのが正しいのだろうが、それが正しいのか、解らなくて、言われたときだけ手を出すことにしていた。
 正直な所、桜町商店街が、活気づくとは、裕太にはとても思えなかった。
 買い物をするなら、ショッピングモールのほうが便利だし、なんでも揃う。それに、楽しい事も沢山あるだろう。
 考えていても、答えは出ないし、もやもやだけが、胸の中に澱のように溜まっていく。
「……ちょっと、頭を冷やしてこよう」
 着替えてから、外へ出た。それを、母親に見つかって「あら、あんた、どこに行くのよ」と声を掛けられる。
「散歩。……ちょっと、その辺歩いてくるだけだから」
「あっそう。今日は、配達があるから、ちゃんと帰ってくるのよ」
 はーい、と返事をして、また、溜息を重ねる。
 裕太の家の家業は乾物屋だ。このご時世に、まだ、商売になっていることが不思議だが、なんとか、生計を立てている。裕太は、従業員という立場の雑用係だ。家に借金があるのか、そういう話は、聞いたことがないし、怖くて聞けないが、お金のことで、言い争いをしている両親の姿を、頻繁に見ている。
 外へでて、裕太は大きくのびをする。
 桜町、というのに、桜並木の一つもない。この町を再生したくても、観光名所になるようなものの一つもない。
(拓(たく)海(み)なんか、『オワコン』って言ってたよな)
 それは、言い得て妙だ。だが、その拓海……幼なじみで、居酒屋の店主、さ早おと乙め女拓海も、いまや、街のイベントに積極的に関わるようになっていた。
 和樹を中心に、良い流れが出来ている。
 それは感じていたが、その流れに、裕太は乗れない。まだ、遠巻きに見ているような感じだ。どっちつかず。どうして良いのか、解らなかった。
「はあ……」
 溜息を吐く。溜息と一緒に、嫌なことが全部消えてしまえば良いのに。
 気がつくと、裕太は、商店街の一角に去年出来たばかりの駐車場の前に来ていた。かつて、ここには店舗が建っていた。裕太は覚えているが、多くの桜町の住民は、ここに何があったか、記憶していないだろう。
 そっと、時計に手をやる。
 動かない、時計。
 そして、変わってしまった、この、場所。
 しばらく、駐車場の側に立ち尽くしていた裕太だったが、「帰ろう」と、踵を返す。その、時だった。
「え、ちょっと……なにこれ、えっ、どういうこと?」
 大きなスーツケースを手にした年若い男が、呆然としながら、手に持っていた、紙袋を落とした音がした。スーツケースには、あちこちの空港で付けられたタグが貼られている。一目で、海外帰りとわかる姿だ。
 裕太は、「えっ」と呟く。知っている顔だったからだ。
「えっ? もしかして……学(まなぶ)お兄さん?」

 カチッ、と裕太の胸の中で、なにかの音がしたような気がした。




   ◇◇◇


 日本に帰国するのは七年ぶりだった。
 本当は、もう少し早く帰国する予定だったが、色々、情勢的な部分もあって帰国しづらく、やっと、帰って来ることが出来た。
 空港に降り立つと、とたんに目に飛び込んでくる日本語の看板が、懐かしい。しばらくぶりに見るような気がしたが、ちゃんと、読めることに、学は感動していた。日本語を、忘れたわけではない。
 久しぶりの日本は、何故か物珍しく写った。
電車は時間通りに来る。町で聞こえる会話も、日本語。出汁の薫りが懐かしくて、つい、駅の構内にある立ち食い蕎麦屋で、天ぷら蕎麦を食べたら、懐かしくて涙が出そうになった。地元である桜町の駅には、立ち食い蕎麦屋などないのに、なぜか懐かしい。
 日本を出てから、蕎麦は、しばらく食べていない。追加で貰ったお稲荷さんなど、なおのことだ。
「おにーちゃん、十日くらい飲まず食わずだったのかい?」
 店員に声を掛けられ、すこし緊張した。久しぶりに、話す日本語だ。
「しばらくぶりに、日本に帰ってきたので」
 アクセントの位置がおかしい。
 だが、会話にはなった。
「へぇ、そうなのかい。どれくらい海外にいたの? 二、三ヶ月?」
「いえ、七年です。本当に久しぶりで、山手線には新しい駅も出来てるし、びっくりしましたよ」
「ああ。そうだね。たしかに。ああ、まだお腹に余裕あるかい?」
「ありますよ」
「じゃ、これ。帰国祝い」
 店員は、笑いながら、ちくわの天ぷらを一本付けてくれた。
「わっ! ありがとうございます!」
 これは帰国早々、幸先がいい。学は、にんまりしながら、熱々のちくわ天を頬張る。出汁を吸ったちくわ天は、学の大好物だ。魂が喜ぶ感じがする。
 忙しなく立ち食いで蕎麦を引っ掛け、そのまま、目線もくれずに立ち去る、スーツ姿のサラリーマンたちに対して、ゆっくり、天ぷら蕎麦を堪能している学は、あきらかに異質なものだ。
 忙しないなあ、と思いつつ、これもまた変わらない日本の風景だと思ったら、日本の日常に戻りつつあると言うことがしみじみと骨身にしみていくようだった。
 満員電車に揺られて、地方路線へと乗り換える。
 世界で一番、一日の利用者数が多いのは新宿駅で、三百五十四万人。一日の利用者だというのだから、恐ろしい数だ。ちょっとした国一つの人口に匹敵する。ウルグアイの人口が三百五十万人だ。二番目以下、渋谷、池袋、梅田、横浜、北千住、東京、名古屋、品川、高田馬場……と十位まで日本が独占している。
 しかし、そんな光景は、都会だけの話だ。この国の大多数の土地を占めるであろう地方には、数分に一本の列車は来ない。一時間に一本。酷いときだと二時間に一本だったり、もっと酷ければ、一日一往復だったり。土日運休というのもあるし、廃線の憂き目に遭った路線もある。
 鉄道会社の発表に寄れば、ドル箱路線以外のすべての路線は、赤字だという。
 都会と、地方と。
 交通だけでも、ここまで格差がある。
 学も、桜町へと向かう長距離列車の鈍行に乗りこむ。大きなスーツケースを抱えている学は、先ほどまで、満員の列車の中で、迷惑そうにされたし、チッとあからさまに舌打ちもされたものだが、桜町へと続くこの列車は、余裕で座ることが出来た。
 席はまばらで、立っている人も少ない。立っている人は、次の駅で降りる、せっかちな人だろう。都心から鈍行で、何時間かかるのか、学は特に気にしていない。
(今日帰るって、オヤジには言わなかったし……びっくりするかな)
 桜町商店街はどうなっているだろうか。
(まあ、変わらないんだろうな)
 桜町商店街は、ずっと、変わらないような気がしていた。一日の利用者数、わずか三百五十人という駅を降りて、寂れた商店街が待っている。潰れかけの喫茶店に、古めかしい酒屋。不動産屋に、魚屋、乾物屋に肉屋。果物屋の向かいに八百屋。文具屋の向かいに、実家がある。とき時とう任時計店。時計と、宝飾品、眼鏡、それに補聴器を扱っている。時計は、掛け時計、置き時計、腕時計に懐中時計まで扱っていて、父親が認定眼鏡士、時計修理技能士それに、宝石鑑定士の資格を持っている。学の祖父の代から続く店だ。
 最初、学は家を継ぎたいと言ったとき、猛反対に遭った。
『大学に行きたくないから、そんなことを言ってるんだろう』
 などと頭ごなしに怒られて、腹が立って、大学へ行って、少々の会社員生活もした。だが、やはり、家を継ぎたい気持ちに嘘はつけなかった。それで、時計の勉強をする為に、スイスへ飛んだ。時計修理の勉強。そして、宝石学の勉強もやった。
 そして、気がついたら、この年になっていた。
 今度は文句を言わせない。大学の学費も、全額返済した。海外での生活費も、工房で働いていた金をつぎ込んで、その他必要だった勉強の分も、自費でまかなった。そして、借金もない。文句は言わせない。
 鼻息荒く学ぶが決意した出鼻をくじくように、電車が悲鳴のようなブレーキ音を響かせながら急停車した。
「おっととととっ!」
 重たいスーツケースが持って行かれて、学は慌てて、引き戻す。
 なんだ? と思っていると、程なくして、アナウンスがあった。

『お急ぎの所、急停車いたしまして申し訳ありません。
 ただいま、前方を走行中の列車が、踏切内で自動車と接触したということで、非常ブレーキが掛かりました。お客様におかれましては、大変申し訳ありません……』

 前の列車が、事故った、ということと、運転士が恐縮しているのだけは伝わる放送だった。

『ただいま、救援活動を行っており……』
『お急ぎの所……』

 三十分経っても、一時間経っても、電車は動き出す気配がなかった。
(まあ、俺は、急ぐ旅じゃないしな……)
 そのまま、スーツケースにもたれて、眠ることにして、電車が動き出すのを待ったが、結局、日付が変わった頃合いに、迎えのバスに乗って、近くの駅まで送って貰うことになった。頻りに文句を言っている人たちがいたが、バスで輸送されただけマシだ、と学は思っている。スーツケースを抱えて、線路の上を歩くのは難儀したが、黄色い安全ベルトを着けた作業員らしき人たちが、手伝ってくれたのが、ありがたかった。
 そして、駅前のインターネットカフェで、夜明かしすることにした。朝早めの電車にのって、朝の内に帰ろう。その前に、身支度を調えようと思ったのだった。
 インターネットカフェの店内は、通路が狭い。やはり、スーツケースでは難儀したが、見かねた店員が、フロントで預かると言う。一瞬、躊躇したが、ここは日本だ、と思い直して本当の貴重品だけを抱えて、個室へ転がり込んだ。


 翌日、インターネットカフェの無料朝食を食べてから、自宅へ向かうことにした。
 無料朝食というわりに、しっかり食べることが出来る。トーストに、カレー、うどんもあった。そのうえ、どれを食べても、それなりに食べられる。久しぶりにカレーを食べてから、学は桜町を目指す。
 思わぬアクシデントがあったが、久しぶりの故郷だ。胸が、高鳴っていた。
 駅にたどり着く。昔ながらの、古くさい駅舎。
 そこを抜けて、目の前に待ち構えていた桜町商店街は、学の記憶とは、少し違っていた。
「えっ? ここ、喫茶店は閉店で、酒屋はコンビニ……? 果物屋も辞めて、魚屋……は、営業やってんのか? 八百屋も……なんだこれ……」
 全く変わることはないだろうと思っていた桜町商店街だったが、様変わりしていた。新しい店も、チラホラあるようだったが、あるはずだったものがないことに、学は、衝撃を受けた。
(そうだ。まずは、実家に帰ろう……)
 両親から、この七年のことを聞く必要がある。しかし、八百屋の隣。文房具屋の向かいにあったはずの『時任時計店』は、忽然と姿を消していた。
 いま、そこにあるのは、駐車場だった。
「え、ちょっと……なにこれ、えっ、どういうこと?」
 まったく、意味がわからなかった。ここは、確かに、『時任時計店』があったはずだ。だが、ここには、駐車場しかない。
(なんで……? オヤジも、お袋も、俺に何の相談もなく?)
 店を継ぐための修行をして居たというのに?
 呆然と立ち尽くす学に、「えっ? もしかして……学お兄さん?」と、呼びかける物があった。二十代半ば、くらいの青年だった。

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