【試し読み】隣のアイツは俺の嫁: ~嫌いなアイツの正体は、どうやら推しのバーチャルストリーマーらしい~

隣のアイツは俺の嫁: ~嫌いなアイツの正体は、どうやら推しのバーチャルストリーマーらしい~

夕暮れ寮シリーズ

 購入


本作品はダブル主人公です。



プロローグ side山



(はぁ、面倒臭い)
 溜め息を吐いて、濡れた手を払う。備え付けのペーパータオルで手を拭き、鏡を覗いた。真底つまらなさそうな顔をした自分に、思わず顔をしかめる。愛想笑いの一つも出来ないのは社会人としてどうかと思うが、直る気配はない。
 俺は夕日コーポレーションに勤める新人だ。榎井飛鳥(えないあすか)という名前に負けて飛べそうにはない陰キャオタク。飲み会の面倒さに着いてそうそうトイレに逃げ込んだ。
 眼鏡をかけ直し、鼻息を荒く吐き出す。この下らない飲み会がさっさと終わってくれることを願っていたが、先輩たちの様子だと帰れそうになかった。
(まあ、俺はどうせ、数に入っていないようなもんだが)
 同期入社で同じく設計部に配属された隠岐(おき)聡(さとし)などは、明るく社交的な先輩に気に入られているようで、率先して引っ張られていた。俺のような陰キャSEを地で行ってるようなやつとは、そもそも人種が違うのだ。
 ひょっとしたらこっそり抜け出しても解らないのでは、と思うが、会費を払っている以上は飲み食いをする権利があるので、最低でもデザートまでは食っていくつもりだ。居酒屋メニューのデザートなんて、アイスクリームくらいのものだろうが。
(寮に遅くなるって申請したしな)
 門限のある独身男子寮なので、普段は夜中に抜け出してコンビニすら行くことは出来ない。帰りにコンビニに寄って、景品クジを引いてやろうと決め、トイレを後にする。
 扉を閉めると、揚げ物と酒の混ざった居酒屋特有の匂いがした。ガヤガヤと騒々しい空気は未だに馴染めない。入社して半年ほどの間に、新人歓迎会も含めて八回ほど飲み会があった。この頻度が多いのか少ないのか解らない。全員参加の強制的な行事と思えば多いのかも知れない。同期であり、同じ寮生ということで親しくなった星嶋(ほしじま)芳(よし)と押(おし)鴨(がも)良(りょう)輔(すけ)はそれほど多くないと言うし、営業に配属された渡瀬(わたせ)歩(あゆむ)はもっと多いという。職場的な文化もあるのだろう。システム設計部はブラック気質故か、飲み方もブラックだった。
 なんとなく序列がある座席に戻ろうとして、通路の前方が塞がっているのに気づいて足を止める。部内でも何かと発言力が強いような先輩たちと、彼らに気に入られているらしい隠岐が通路を塞いでいた。
「ん? なんだ、隠岐。どうしたー?」
 先輩の声につられるように隠岐を見る。同期にして同じ部に配属された隠岐は、明るい髪色をした軽薄そうな笑顔の青年だ。陰キャ眼鏡の俺とは、対照的なパリピというヤツである。
 その隠岐が、なにやら地面に落ちたキーホルダーを拾い上げた。
「あー、なんか。落とし物?」
 歯切れ悪くそう言ったのは、そんなものを気にして拾い上げてしまったかもしれない。キーホルダーにマスコットがついていた。
(――『ラキエン』の道明寺真理奈(どうみょうじまりな)だな)
 良くある塩ビフィギュアのくっついたキーホルダーだ。『ラッキーエンジェル』とはまた、懐かしい。十年くらい前に放映されたアニメだ。青い髪をした美少女キャラだった。正ヒロインはえみるなので、真理奈派は珍しい。
「なんだそれ。アニメか?」
 先輩の一人が顔をしかめてそう言った。それに乗るように、隠岐が渇いた笑いをこぼす。
「成人してんのにアニメキャラとか、マジキモいっすよね。てかヤバすぎ」
 酷い偏見の言葉に、思わず口を挟みそうになったが、丁度店員が生ビールのジョッキを両手に抱えて通りすぎようとするのに阻まれる。
 先輩は興味なさそうに肩を竦め、席の方に視線を向ける。
「なにグズグズしてんだ、さっさと席に行くぞ隠岐」
「あ、はい」
 隠岐は手にしていたキーホルダーを、一瞬見た。それから、スルリと指から離す。
 その先に、大きく口を開けたゴミ箱があった。
 カツン。音を立てて、キーホルダーが落下する。
 胸くそ悪いものを見た。そう思い、自分も席に着いた。青いビニールフィギュアのキーホルダーが、妙に気になって仕方がなかった。





   ◆   ◆   ◆



(嫌なヤツ)
 オタクを嫌いなタイプだろうとは思っていたが、心底嫌なヤツだ。今時、オタク文化を否定する方がマイノリティになりつつあるのに、時代についていけない可哀想なヤツ。
 隠岐聡のことは、初対面から苦手だった。他人の顔色を見ながらカーストの上位を見つけてすり寄っていくようなタイプ。俺とは真逆だ。きっと俺みたいなオタクは、向こうも嫌いだろう。
「榎井、顔が怖いぞ」
「ああ、すんません」
 ぶっきらぼうにそう言って、怖がる先輩を横目にビールをあおる。なぜか設計職場には、いかにも陰キャという人間の他に、やけにコミュ力の高い体育会系が集まる傾向がある。システムエンジニアというのは案外、コミュニケーションと体力を求められる仕事だから、自然なことなのかもしれない。
 飲み会となると、自然とそういう人間でグループが分かれ、席の場所が決まる。俺と隠岐は同期なのに、近くに座ったためしがない。まあ、隣に座っても、会話なんかないだろうが。
(嫌いだな)
 俺は好き嫌いがハッキリした人間なので、嫌いなヤツとはつるまない。きっと隠岐とはうまくやれないだろう。奴が寮生じゃなくて良かったと、心底思う。ただでさえ同じ職場に配属されて、姿を目にする機会が多いのだ。
 黙々と食って飲んでしているうちに、飲み会はお開きとなった。パリピな先輩たちは二件目に行くようで、まだ入り口でうろうろしていた。
(そういや、あのキーホルダー)
 捨てられたままのキーホルダーを思いだし、ゴミ箱に視線を向ける。既に周囲には人が居ない。ゴミ箱を漁る変なヤツのレッテルをはられなくても済みそうだ。
 中を覗くと、ゴミはあまり入っていなかった。これ幸いと手を突っ込み、目的のものを拾い上げる。
「汚ねえな」
 十年も前のアニメグッズだ。経年で薄汚れていたが、大事にされていたのはわかる。落とし物と店に届けてもよかったが、きっと持ち主は失くしたと思って諦めた気がした。
(まあ、捨てられるのも可哀想だ)
 ポケットに突っ込み、店を出る。前方ではまだ、パリピ集団がうろうろしていた。隠岐の姿もある。
(ん?)
 なぜか戻ってくる隠岐を見つけ、思わず脇道にそれる。顔を会わせたくなかった。
(忘れ物か?)
 まあ、どうでも良い。今日はコンビニに寄って帰るのだ。



   ◆   ◆   ◆



 数ヵ月後――。


「ん? 珍し。『ステラビ』やってる人いるんだ」
 動画サイトの一覧に出てきたおすすめ動画に、アクションゲームである『ステップラビリンス』のプレイ動画が表示されていた。マイナーな死にゲーである『ステラビ』は、挫折するものが多く、プレイヤーも少ない。動画を見かけたのは初めてだった。
(バーチャルストリーマーか)
 Vチューバーの類いを、俺はあまり好まない。顔出ししないのはともかく、アニメキャラみたいなキャラになりきるのが理解できなかった。
 普段なら見ない動画だったが、『ステラビ』動画だからと言う理由でクリックし、動画を再生する。
『天海(てんかい)マリナ』という少女の姿をしたバーチャルストリーマーだった。見たことも聞いたこともない。チャンネル登録数も2100人と、多くない数字だった。どこにも所属していないストリーマーならまだ頑張っている方かも知れないが、その程度だろう。青い髪をした、天使のような人魚のような、奇妙なデザインのキャラクターだった。
「ま、ちょっと覗くだけだし」
 このバーチャルストリーマー『天海マリナ』に、ドはまりしてしまうということを、この時の俺はまだ知らなかった。



プロローグ side海



「成人してんのにアニメキャラとか、マジキモいっすよね。てかヤバすぎ」
 言いながら、心臓がバクバクしていた。指先が冷たい。変な風に思われていないだろうか。
(吐きそう……)
 込み上げる吐き気を堪えて、前方にいる先輩たちを見上げる。何とかしないと。何とかしないと。
(耐えろ、俺。耐えろ、隠岐(おき)聡(さとし)……)
 既に座席に付いている先輩方も、こちらに気づいてチラチラと見てくる。ビールと揚げ物の匂いが余計に気持ち悪くさせた。
「なにグズグズしてんだ、さっさと席に行くぞ隠岐」
 イラだった声にビクッとして、手に持っていたキーホルダーに視線をやる。このままポケットに突っ込むわけには行かない。不自然じゃない行動を取らなければ。
(ああ……)
 指からスルリと、キーホルダーが滑り落ちる。その先にあるのは、大きく口を開けたゴミ箱だ。
 俺は振り返らずに、そのまま先輩たちの後に付いていく。
 ゴミ箱を気にしたまま。
「今日は新人の隠岐聡が盛り上げちゃいまーす。ホラ、歌え隠岐!」
「なに歌うのー?」
 無理やりマイクを渡され、ひきつった笑みを浮かべる。
「えー、じゃあ、チャーチャートレイン、行っちゃいますか!」
 立ち上がってそう宣言すると、ノリの良い先輩が一緒に立ち上がる。
「踊っちゃう~?」
「よし、隠岐。お前先頭な!」
 ゲラゲラ笑いながら、背後に回って踊り出す。それを見ながら手を叩き笑う顔に、また胃が痛くなる。
「隠岐くん踊ってー」
「飲め飲めーっ」



   ◆   ◆   ◆



 居酒屋から出て、「二件目行くぞ!」と叫ぶ先輩に、恐る恐る声を掛ける。二件目も付き合うなど冗談じゃない。入社して半年で八回も飲み会があるなんて異常だ。それ以外にも、先輩たちには理由をつけて連れまわされていた。今日こそは理由をつけて逃げ出そう。そう思い、口を開く。
「あっ、座敷にちょっと忘れ物しちゃったみたいっす! 取りに行ってきますので、先に行ってください!」
「あー? 終電いっちまうぞ?」
 白けた顔をした先輩に、内心(やってしまった)と思う。俺の一言で、どうやら二次会はなくなったようだ。それ自体はありがたいのだが。待っていそうな雰囲気に、取り合えず否定の言葉を告げる。
「大丈夫です! 何とかします!」
 先輩にそう叫び、居酒屋に戻る。既に客が出払った店は、片付けを始めていた。忘れ物だといって入らせてもらい、ゴミ箱に向かって走り出す。
 大きく口を開けたゴミ箱には、紙くずがいくつか入っていただけで、キーホルダーはなかった。その事実に、胸がざわついた。
「え、なんで」
 ゴミがいっぱいになって、途中で店の人が捨てたのかもしれない。さすがにゴミを漁らせて欲しいとは言えず、諦めて店を出た。
(俺が……捨てたから……)
 とぼとぼと、夜道を歩く。
『ラッキーエンジェル』というアニメに登場した、青い髪のヒロイン、マリナのビニールフィギュアがついたキーホルダーだった。
『ラキエン』が放映されたのは俺が中学の時で、高校受験のときも大学受験の時も、就活の時も御守り代わりに持っていた。だからキャラクターの塗装は剥げて、黒っぽくなっていた。落下してしまったのは、金具が古かったからだろう。落としたキーホルダーに、咄嗟に自分の物じゃないフリをした。
 高校時代に、アニメ好きだというだけで虐められた経験から、他人の前では擬態するようになった。
 明るくて社交的。いかにも『パリピ』な一般人。アニメなんか生涯みたことないような、そんなキャラ。
 そんな自分を演じていたせいで、だんだん自分が解らなくなってしまった。
 生活に疲れて、社会に疲れていた。
「ただいま……」
 生気のない声で、冷えたアパートの部屋に呟く。帰ってくる言葉などないが、習慣だった。
 六畳一間の小さい部屋。オンボロアパートに住んでいるのは俺と一階下の耳が遠い老人だけで、他に入居者は居ない。この古いアパートを選んだのは、隣に声が漏れても隣人が居ないからだった。
「疲れたし、気持ち悪いけど……少し配信しようかな……」
 キーホルダーを捨ててしまったのを、誰かに言い訳したかった。記録を残さないストリーミング配信を、スーツのまま立ち上げる。画面はオフにして、音声だけの配信にした。
「えーと、マイクマイク……」
 マイクのスイッチをオンにすると、気持ちが切り替わる。発する声がマイクを通じて、別人の音声に切り替わる。スピーカーから少しトーンの高い、少女のような声がした。
 すうっと息を吸い、声を発する。意識が切り替わる。人格が変わる――ような、気がする。
「みんなー、こんばんはー。天海マリナです。寝てた? 配信ありがとう? こっちこそありがとうー」
 さっそく数人が、配信に気がついてコメントを送ってくる。一年半ほどストリーマーとして活動して、固定のファンが何人かついてくれた。
「今日ちょっと嫌なことあってさぁー……。私が悪いんだけどね? 聞いてくれる?」
 溜め息をマイクに乗せ、画面の向こうにいる無数の人物に繋がっていく。
 バーチャルストリーマーを始めた理由は、バーチャルならば年齢を問わないということと、生身で人前で喋ると緊張で気持ち悪くなるからだった。その点、『マリナ』の時は違う自分になれた。自分が何をしているのか解らない『リアル』とは違って、『天海マリナ』を演じるときは素直な自分だった。
 新しい自分は楽しかったが、ストリーマーとしては伸び悩んでいるのが現実だ。仮面を被ればうまく行くかと思ったが、現実はそれほど甘くない。バーチャルだったとしても中身は人間で、『隠岐聡』という人間は変わらなかった。
 年齢を問わないといってもバーチャルの年齢層は実際には低く、他のストリーマーに比べると薹が立っていた。マイク越しでも画面越しでも、人とのやり取りは吐くほど緊張した。俺は、それほど魅力的な人間ではない。このくらい、が精いっぱいなのかもしれない。
 けれど、この小さな場所に人が集まり、不格好ながらも自分の居場所になっていた。
「本当に最悪だよー」
 チャンネルの登録数は、今月ついに1000人になった。収益化することが出来るようになって、モチベーションが上がった。一方で、良い機材が欲しくなって、入るお金よりずっと出ていくお金が増えた。
 けれど、楽しかった。
(ここが、俺の居場所だから)
 見えない誰かに向かって、笑いながら話をする。話し始めは緊張したが、次第に『みんな』の前では平気になった。
「今度、うたみた動画作るから。ん? ライブやって欲しい? じゃあ、目標どっかのライブハウスにする?」
 冗談まじりにそう言うと、誰かがコメントを投げてきた。
『ライブハウスなんて目標、小さすぎる。ドームにしよう』
 そのコメントに、思わず噴き出してしまう。あまりに大きすぎる目標だ。
(あっはっは。――でも、まあ。言うならタダだよなあ)
 登録者1000人程度の、弱小ストリーマーには、到底手が届かない場所。けれど、夢を見るのは自由だ。
「じゃあ、目標ドーム公演にしようか。プロフ欄変えてくる」
 チャンネルのプロフィール欄を編集して、『夢はドーム公演』と書き換える。
 コメント欄は「その時には新衣装にしよう」など、盛り上りを見せていた。
(御守りは失くなっちゃったけど)
 今は、この人たちが、俺の御守りだ。
 そう思いながら、俺は静かに配信を切った。



   ◆   ◆   ◆



 すれ違いを愛する神の手によるものか、数奇な運命か。あの時、五分早く店に着いていたのなら運命が大きく変わったことを、――隠岐はまだ知らない。


Indexに戻る  購入