【試し読み】気弱な暴君: ~ヤンキー新入社員、憧れの元総長にエッチなお仕置きされてます~

気弱な暴君: ~ヤンキー新入社員、憧れの元総長にエッチなお仕置きされてます~

夕暮れ寮シリーズ

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「マジでやるのか?」
「大丈夫だって。先輩もやったって言ってたし」
 そう言って二階の端にある部屋の前でコソコソと話し込んでいるのは、今年『夕暮れ寮』に入寮したばかりの新入社員らだった。208号室と書かれた部屋の前で、ビニール袋を片手にソワソワと落ち着かない様子でキョロキョロと周囲を見まわしている。長い廊下の先にある階段では、先輩たちがニヤニヤ笑いながら様子を窺っていた。
 青年は袋を覗き込み、「うへぇ」と顔を背ける。派手なパッケージに入った、卑猥な形のオモチャだった。
『夕暮れ寮』には何故か、五年ほど前から新入りに対して謎の通過儀礼が存在していた。つまり、最寄りの駅近くにあるアダルトショップで大人のオモチャを購入して、208号室のドアノブにひっかけて来る――という、実にくだらないお遊びである。
 とはいえ、やっている本人にとっては恥ずかしいやら、緊張するやらで、それなりの盛り上がりを見せるし、やらせている先輩たちにとっては、良い話の種であり笑いのネタだ。「品性のかけらもない」と、『夕暮れ寮』を取り仕切る寮長の藤宮(ふじみや)進(しん)が思っていても黙認しているのは、ある意味、この交流が伝統になっているからである――208号室の人間以外には。
「よし、やるぞ」
「ああ」
 盗み見している先輩たちが、「さっさとやれ」とせっついている。置いてくるだけだ。怖いことなど何もないはずだと、ドアノブに袋をひっかける。
 と、同時に、ドアノブがガチャリと動いた。
「ひっ!」
 青年たちは中の住人が出てきたことに、驚いて反射的にその場を駆け出す。ドアの隙間から、のそりと人影が覗いた。
「すっ、すみませんでした!!!」
 遠ざかる声に、その人物は首を捻ってドアノブを見た。
「ああ――新人くんか」
 長い前髪のせいで片目は殆ど隠れている。陰鬱な雰囲気の痩せた男。それが、鮎川(あゆかわ)寛(かん)二(じ)である。ハァとため息を吐き、袋を手に取り中身を見る。
「これ同じ商品5個目だけど。買いやすいのかな……」
 そう言いながら箱を取り出し、部屋の中に積まれていた一角にひょいと積み上げる。その一角は、異様だった。バイブにローター、アナルパールにアナルプラグ。変わり種では手錠やベルトなんてものもある。
 まるでアダルトショップのようになっている原因は、例の通過儀礼である。
 いつの間にか夕暮れ寮の風習になってしまっている「208号室にアダルトグッズを置いてくる」お遊びは、もとはと言えば夕暮れ寮でも古株の吉永律が始めたもので、男しか居ない環境特有の悪ノリでのことであった。「お前なんでこんなもん持ってるんだよw」と同僚をネタにし、ネタにされた奴が怒って他の部屋に投げ込むという、バトンのようなものだったのだ。だがそれを、鮎川が面倒だという理由で止めたことが原因で、不幸な連鎖が始まった。
 同じようなことが何度もあって、その度に鮎川が止めていると、いつしか「鮎川のところに投げれば良い」というようになり、そのうち「鮎川にアダルトグッズをこっそり置いてくる」のが伝統のようになってしまったのである。
 どこかで止めれば良かったのだろうが、生来の性格ゆえに言い出さずにいたところ、処分するにも困るほどの量が部屋に積まれることになってしまったのだ。
 現状、部屋が狭くなってしまっていること以外は、特に問題はない。鮎川はため息を吐きながらも、「仕方がないな」と思っただけだった。



 ◆   ◆   ◆



 ガシャーン! けたたましい音を立てて、メラミン製の皿が地面に転がった。その音に、食堂にいた人たちが陰鬱な雰囲気の男に注目する。鬱陶しい前髪の、長身で痩せた男、鮎川寛二である。彼はみそ汁で濡れたシャツが肌に張り付く不快さに顔をしかめ、目の前で青ざめた顔をしている青年をチラリと見やった。
「すっ、すみませんっ!」
「あ――……」
 鮎川のトレイに乗っていたご飯やみそ汁、おかずは、すべてひっくり返っている。運ぼうとしたところにこの青年がぶつかってしまい、盛大にぶちまけたせいだ。しかもすべて鮎川のほうにかかっている。
「まあ、大丈夫だよ。そんな熱かったわけじゃないし」
「マジですみませんでした! 弁償しますから!」
「ああ、良いよ。気にしないで」
 本当ならシャツと濡れたズボンのクリーニング代くらい貰っても良いし、ダメになった夕飯も買って返してもらうのが筋だろう。だが、鮎川は苦笑するだけで、文句の一つも言わなかった。その様子に、誰かが「さすが、仏の鮎川」と呟いた。
(ダサっ)
 食堂のカレーを口に運んでいた岩崎崇弥(いわさきしゅうや)は、その様子を横目で見ながらフンと鼻を鳴らした。自分が悪いわけでもないのに食器を片付けて雑巾で濡れた床を拭いている鮎川に、呆れのような憐みのような、苛立ちの混ざった感情が胸に湧く。自分だったら、「どこ見てやがる」と胸倉を掴み、「舐めてんじゃねえぞ」と一発殴っているところだ。
(なにが『仏の鮎川』だよ。やり返せねえひ弱が)
 岩崎は、今年『夕日コーポレーション』に入社した新入社員である。岩崎にとって先輩である鮎川をわざわざ悪く言うことはしないが、だからと言ってあんな軟弱な男を『先輩』と呼ぶのも出来ない。尊敬できない人物を、先輩扱いは出来ないのだ。
(ヘラヘラ笑って、何が楽しいんだか……)
 ああいう人間を見ると、岩崎はイライラする。彼らなりの処世術だとは思うのだが、岩崎とは根本的に人種が違うのだ。相容れない存在は、受け入れ難いものだ。
「あー、ここ良い?」
 ふと、前の席にトレイを持った青年が立つ。確か、同じく同期入社の栗原風(くりはらふ)馬(ま)という男だと思い出す。同期入社の寮組は、岩崎を入れて六人だ。他の五人はよく一緒にいるようだが、岩崎は彼らに比べやや浮いている。栗原も今日はたまたま一人だったようだ。新人研修が終わって配属が正式に決定すれば、よりバラバラになるのだろうなと、岩崎は思った。
「ああ、良いよ」
 勝手に座れば良いのに。そう思うが、口には出さない。もっとも、顔には出ていたが。
「岩崎は……その、それ……そのままで大丈夫なの? 何か言われない?」
「あ?」
 スプーンを口に運びながら、思わずそう返答する。栗原がビクリと肩を揺らした。威嚇するつもりがなかったので、内心申し訳なく思う。
 栗原が「それ」と言ったのは、恐らくは髪のことだろう。岩崎の髪はピンク色で、耳にも幾つもピアスが開いている。
「別に、何も言われねーし。就活の時もこうだったから、平気じゃねえの?」
「そ、そうなんだ……。俺は就活で黒にしたからさ……茶色にしちゃおうかな」
「ああ、良いんじゃねえ?」
 寮内を見回せば、赤い髪の男や金髪なんてのもいる。夕日コーポレーションはかなり自由な社風のようだ。ニ三言葉を交わして緊張が解れたのか、栗原は他愛のないことを話しだす。人懐こい性格のようだ。
「それで、高橋先輩に言われてさ、鮎川先輩にイタズラを……」
「何したんだ?」
 気恥ずかしそうにする栗原に、岩崎は首を傾げた。カレーはすでに食べ終えていたが、なんとなく席を立つのは止めておいた。栗原が小声で周囲の視線を確認するようにキョロキョロする。
「駅の近くに、アレ系の店があるじゃん」
「アレ系?」
「しっ! 声が大きい!」
(アレ系? アレ系ってなんだ)
 訝しむ岩崎に、栗原がもどかしそうにする。だが、解らないものは解らない。岩崎はこの辺りが地元ではあるが、その分、駅をあまり利用しない。駅周辺の情報には疎かった。
(駅近くになにかあったっけ?)
 首を傾げる岩崎に、栗原が顔を赤くして答える。
「アレ、だよ。その……大人の、オモチャ……」
「はぁ?」
 思わず呆れて声を出した岩崎に、栗原が「しーっ!」と唇に指を当てる。確かに、駅の近くにアダルトショップがあった。恥ずかしがる栗原にも呆れるし、内容にも呆れてしまった。
「くだらねえ」
「まあ、そう言わないでよ。こっちはドキドキだったんだからさ」
「良く腹が立たねえな、あの――」
(なんだっけ? 菩薩? 違うな)
「仏の鮎川、ね。鮎川先輩が怒らないから良かったようなもんで……」
「は。怒られるのが嫌なら、そんな真似すんなよな」
「岩崎も言われるんじゃないの?」
 同期六人のうち、『通過儀礼』とやらをやったのは三人だったらしい。岩崎にはまだ、声が掛かっていない。
「言えるもんなら、言って欲しいもんだけどな。まあ、俺はやらねえけど」
「確かに。言い難そう」
 そう言って愛想笑いを浮かべる栗原に、岩崎はフンと鼻を鳴らした。


(はぁ~。面倒臭え)
 仕事にも寮生活にも慣れた。同期たちともそれなりに上手くやっている。門限やルールは面倒なものがあったが、概ねなんとかやれていると思う。当初は一人暮らししようかと思っていた岩崎だったが、今は寮も悪くないと思い始めていた。何しろ、風呂掃除や炊事をしなくて良いと言うのは大きい。
 とはいえ、やはり面倒なものは面倒で、岩崎は特に洗濯が嫌いだった。全自動洗濯機という名前ならば、畳むところまでやってくれれば良いのにと、心底思う。
(今のところ、うるさく言ってくる先輩とやらも居ないしな。それより、バイク乗りてー)
 実家から愛車を持ってきてはいるものの、今のところ乗れていない。会社までは歩いて行ける距離なので、通勤の許可が下りないのだ。そういう点はマイナスだ。
 洗濯物を詰め込んだ紙袋を片手に、洗濯室に向かう。貯め込みすぎると余計に面倒だと、ここ数回で学んだため、洗濯はこまめに行うことにしていた。
「週末にでも、どっかバイク乗りに行こうかな」
 海か山か、近場で良いから乗りに行こう。そう思いながら洗濯室に入った岩崎は、ぐるりと視線をめぐらせて眉をよせた。どの洗濯機にも洗濯物が入っている。丁度、混み合っている時間だったらしい。
「何だよ、畜生」
 出直す必要があるかと、舌打ちをする。こういう部分は、寮の不便さだ。と、一つの洗濯機だけ、動きを止めていることに気が付いた。寮則では洗濯物を勝手に取り出すのは禁止されている。しばらく待てば仕掛けた人間が取りに来るのも解っている。だが、面倒だ。
(別に良いだろ)
 勝手に扉を開け、洗濯物に手を伸ばす。洗濯物は既に粗熱が取れていたので、止まったのは今さっきではない。それなら、取り出してしまうのに十分な言い訳が立つ。近くの棚に置いてしまおうと、洗濯物を取り出そうとした時だった。
「あああ! ごめんね! 僕の洗濯物!」
「っ!」
 急に声を掛けられ、驚いて洗濯物を取り落とす。横から腕が伸び、慌てて洗濯物を持ってきたカゴに詰め込み始めた。
(――こいつ、仏の……)
 鮎川だ。鮎川の洗濯物だったことに、ホッと息を吐く。次いで、この男ならば怒らないだろうと、無意識に思っていたことに気が付き、顔を顰めた。
「さーせん、空いてなかったんで……」
「ううん、ゴメンね。……ピンクだね」
「あ、はい」
 鮎川がまっすぐ背筋を伸ばした。
(でか)
 長身の男だとは思ったが、自分より目線がずっと高いことに驚く。遠目ではヒョロヒョロしているように見えたが、間近で見ると思ったよりがっしりしていた。
 桃色の髪を見てやんわりと視線を和らげる鮎川に、一瞬ドキリとする。岩崎の髪を見た人間は、大抵は驚き、少し逃げ腰になる。この男は、そうではないらしい。
(あれ……? どこかで……)
 胸の奥が擽られ、ザワザワする。何か思い出しかけて、それが何なのか思い出せずに、無性に苛ついた。
「じゃあ、ごめんね」
「はあ」
 そう言って、鮎川は洗濯室から出ていく。その背中を目線で追いかけ、岩崎はどうにもモヤモヤした気持ちが晴れず、ガシガシと髪を掻き上げた。



 洗濯が終わり、部屋に戻ってまだ暖かい洗濯物を畳むことにする。そのまま放り投げるとシワシワになってしまうというのを入寮して学んだ。
「あー、面倒臭え。クリーニングにしちまおうかな。って言っても、近くにクリーニングないんだよな」
 実家に暮らしていた時は、家に出入りしている家政婦のおばさんがすべてやってくれていた。だから岩崎は基本的に家事は一切したことがない。洗濯籠に投げておけば、翌日には畳まれて戻ってきた。
「はぁ。寮を出て一人暮らしなんて、マジで考えられねえな」
 洗濯ばかりでなく、料理もしなければならないと思うと、とても一人で生きて行けそうにない。
(俺は、自立して生きて行くのに)
 イライラしながら洗濯物を畳んでいる時だった。洗濯物の中から掴んだものに、首を傾げる。
「なんだこれ? こんなパンツ持ってたっけ?」
 グレーのボクサーパンツだ。こんな地味な下着は、岩崎は持っていない。岩崎の下着は派手な柄物ばかりで、大抵は赤やピンクだ。
「あ」
 理由を思い当たり、ついパンツをみょーんと伸ばす。
(アイツの、か)
 自分の前に洗濯機を使っていた人物。鮎川のものだろう。
「うわ、だるっ」
 届けに行くのが面倒臭い。かといって捨てるわけにもいかないし、持っていたいものでもない。
(あー、くそ……)
 思考停止して数分。結局のところ届けなければどうしようもないので、仕方がなしにため息とともに立ち上がる。
「あー? どこの部屋だっけ?」
 栗原の話を思い出す。確か、208号室のはずだ。
「……」
 岩崎は手の中に握りしめたパンツを見つめた。このまま握りしめていくのは微妙だ。何か、適当な袋に突っ込んで持って行こうと、また一つため息を吐き出した。



 ◆   ◆   ◆



「はい?」
 扉を開いて鮎川が面食らった顔をした。
「どうも」
「どうも……?」
 首を傾げ、それから何故か外側のドアノブを確認する。岩崎が例の「通過儀礼」をしにやって来たのだと思ったのだろう。
「あれ? 無い? じゃあどうして」
「これ」
 ずいっと、パンツの入ったビニール袋を差し出す。鮎川はそれが何か分からないままに受け取り、それから中身を見た。
「――」
「すんません。洗濯物に紛れてました」
「あっ!」
 そこまで言ってようやく気が付いたらしく、鮎川が赤い顔で平謝りする。
「ああっ、ゴメンね! ちゃんと取ってなかったんだね!」
「いえ……」
「わざわざ、ありがとう」
 ふわり、笑みを浮かべる。
(あ、まただ)
 鮎川の笑みに、心臓が何故かざわつく。何かが引っ掛かる。何かが、チリチリと音を立てている。
「洗濯物が残ってたり混ざっていたりしたら、洗濯室に置き場があるからね。今日はありがとう」
「あ、そうなんすね」
 それなら、わざわざ届けなかった。
(まあでも、下着は嫌だよな)
 不特定多数が見る場所に置かれた下着を、自分なら穿く気にならない。岩崎の手に渡ったものでも同じかもしれないが。
「岩崎くんだっけ」
「っす」
「困ったことがあったら、相談してね。これでも寮では古株なんだ」
「――はぁ……」
 気のない返事をする岩崎に、鮎川はニッコリと微笑んだ。そのまま、「それじゃあ」と扉を閉める。
 扉が閉まる瞬間、鮎川の背が見えた。
 その背中に、また心臓がザワッとさざめいた。



『出来もしないくせに、偉そうなこと言わないでよね。あんたの出る幕じゃないのよ』
(ムカつく)
 イライラしながら、寮までの道を歩く。苛立ちが顔に出ていたのか、通りすぎる人が岩崎を見て、青い顔で顔を背けた。
(あのアマ。見てろよ)
 思い出すだけで腹が立つ。文句を脳内で言いながら、余計に腹が立って、岩崎は鼻息を荒くした。
「やけ食いだ、やけ食い。こういう時はジャンクなもんを食うに限る!」
 そう言いながら、コンビニエンスストアを目指す。寮から一番近いコンビニは、寮の人間も多いが、学校が近いこともあり、学生が多い。退勤時間などは特に混雑している。
 コンビニに入ると、一直線にカゴを片手にスナック菓子のコーナーに行き、味の濃そうなスナックから、変わり種までを順番にカゴへと突っ込んでいく。すぐにレジに並ぼうと思ったが、すでに行列が出来ていた。
 行列に一瞬、萎えそうになる。だが、その列に見知った顔を見つけ、目を瞬かせた。
(鮎川、先輩)
 陰鬱な雰囲気の男、鮎川だ。その鮎川の前に、三人ほどの男子学生が笑いながら割り込んでくる。
「あ、並んでるんですが……」
 鮎川のか細い声に、男子学生が「ああ?」と睨み付ける。
「なんだオッサン」
「あ、その……はい」
 その様子を見た岩崎は、イライラしていたこともあって、余計にカチンと来てしまった。
 男子学生の前に立ち、睨みをきかせる。
「てめえこそ何だ、このクソガキ」
「ひっ!?」
「あっ、す、スミマセン……」
 男子学生は思ったよりも根性がなく、見た目で岩崎を恐れると、そそくさと列から離れていく。
 鮎川が驚いた顔で岩崎を見た。
「岩崎」
「はぁ……。ガキに舐められんじゃねーよ」
「あはは。ありがとう」
 鮎川の態度に、無性にイライラしてしまう。
(先輩じゃねえ。こいつはただの鮎川だ。ヘタレ野郎が)
 呆れながら列に並び、会計を済ませる。コンビニの外に出ると、何故か鮎川が待っていた。
「あんた……」
「さっきはありがとう。これ、良かったら食べて」
 そう言って、鮎川は持っていた袋の中からシュークリームを取り出す。思わず受け取ってしまい、岩崎は顔をしかめた。
「……どうも」
(甘いもんとか、食わねえんだけどな)
 岩崎は甘いものを好んでは食べない。嫌いというわけでもないが。
「今から飯じゃねーんですか」
「そうなんだけど、寮のご飯はデザートつかないじゃない。たまにはね?」
(と言いながら、しょっちゅう買っていると見た)
 憶測だが、当たっている気がする。鮎川の持つ袋の中には、他にも色々入っているようだった。
「随分、買ってるみたいだけど」
「冷蔵庫に入れておくと、半分以上は消えちゃうからね」
(そんな馬鹿な)
 鮎川の発言に、改めて呆れてしまう。各部屋には冷蔵庫は置けないため、冷蔵庫は共有スペースにあるものを利用しているはずだ。共有なので、誰もが利用できるが、通常は、名前をしっかり書いておけば、誰かに持っていかれることはない。
(舐められてんだな)
 鮎川ならば平気だろうと、勝手に盗み食いする人間がいるのだろう。盗み食いする方も大概だが、だからといって多めに買い込んでおく鮎川も鮎川だ。
(まあ、俺の知ったことじゃないか)
「そういう岩崎は、お菓子ばっかりだなあ」
「あー……。まあ、色々あって」
 指摘され、嫌なことまで思い出す。思い出したらまたムカムカして、顔をしかめた。
(あのクソアマ、どうしてくれようか……)
 と、ご機嫌な様子で歩く鮎川の横顔を見る。何故だか、一緒に帰る流れになってしまった。
(そういや――)
「なあ、鮎川」
「あゆ……あの、一応、先輩なんだけど……」
「あんた、栗原が押し付けたバイブどうした?」
「全然、聞く気はないんだね……。公道で急にどうしたの。持ってるよ?」
「持ってんのかよ。もしかして使ってんの?」
「なんて?」
 鮎川が怪訝な顔で岩崎を見下ろす。
 岩崎は、鮎川がもっと慌てふためくかと思ったが、存外、彼は平然としていた。その事が意外で、方眉をあげる。
(そういや、俺にたいしても、物怖じしねえな)
 陰気で気弱な男かと思っていたが、そうでもないのかも知れない。なんとなく、そう思う。
(それに、やっぱり――)
 何か、ざわざわするのだ。鮎川を見ていると、脳の奥底が震え、何かを呼び起こそうとする。何か、焦れったいような、苛立ちのような、それと同時に、郷愁のような切なさが込み上げる。
「まあ良いや。持ってるなら。あとであんたの部屋行くから」
「へ?」
 何で? という顔をした鮎川に、岩崎は無視を決め込んだ。説明する気は全くなかった。



 食堂での夕食を終えたあと、岩崎は宣言通り、鮎川の部屋を訪ねた。鮎川は律儀に部屋で待っており、待たされることはなかった。
「えーと……?」
「邪魔するぞ」
 許可を得る前に部屋の中に入る岩崎に、鮎川は戸惑いを見せたがなにも言わない。やはり、言いたいことを言う質ではないのだ。
 鮎川の部屋に入った岩崎は、中の惨状に顔をしかめ、呆れた声を漏らした。
「はぁ? なんだこの部屋。物置かよ」
「た、退寮する人が、要らないものを置いていくんだ。何か欲しいものがあれば、持っていって良いよ」
 鮎川の説明に、呆れて顔をしかめる。どうしようもなく卑屈だとは思っていたが、想像以上だったらしい。
 部屋の様子は、酷いものだった。狭い寮内には邪魔な大きなソファーに、折り畳みのテーブルが三つ。スティック掃除機は四台も置いてある。大物の家具の他にも、ボードゲームやトランプ、良くわからない小物まで、部屋に溢れかえっている。
 その中で、異彩を放つ一角があった。岩崎の目的は、これである。
(ふん。あとで栗原たちに声かけてみるか)
 家具を一通り眺め見て、同期の新人なら欲しいものがあるかもしれないと思い付く。あとは棄てた方が良いだろうに、鮎川はそうしていない。物がありすぎるのだろう。
「さて、と。何だ、思った以上にあるな」
 岩崎は部屋の一角に積まれた箱に、眉をあげた。『超振動!』やら『極太』などと書かれたパッケージは、これまで鮎川の部屋に押し付けられたバイブだ。他にも、用途不明なものからアダルト映像でしか見たことがないようなものがズラリと並んでいる。
 事情を知らなければ、鮎川の趣味を疑うところだ。
「あー、お茶とか飲む?」
「いらねえ」
 鮎川の誘いを無視し、箱を物色する。未使用のようだが、開いている箱もある。どんなものか、渡した人間が確かめたのだろう。岩崎はその中から、未開封のものを選び、さらに床に並べて比較し始めた。
「あのー、何をしているの? どうせなら持っていってくれても……」
「これだな」
「……」
 あくまで無視する岩崎に、鮎川は黙り込んだ。自分の部屋なのに、どこにいて良いか解らないのか、岩崎の横で突っ立っている。
「これにしよう。どうよ。長さ15センチ。直径5センチ。ガチのヤツ」
 そう言って岩崎が取り出したのは、ピンク色の男性器を模したバイブだ。
「それが、どうしたの?」
 鮎川は困惑した顔で首を傾げた。
「フェラしてみようと」
「何で?」
 ずっと岩崎が呆れていたが、今度は鮎川が呆れる番だった。何を言っているんだという顔で、岩崎を見る。
「同期の女がよ。フェラが出来ないとか言うからさ。そんなわけねーじゃん。AVだけの技なわけねえだろ?」
「あー、うん? うん。そうだね?」
「それはもう、やりたくないだけじゃん。で、ソイツが俺に、出来もしないくせに偉そうにって言うからよ。俺は出来ることを証明しようと思ってな」
「なるほどー?」
「だからコイツで一つ実践して見ようと思ってな」
「君の行動力に驚くよ。って、ここでやるの!?」
 鮎川がぎょっとするが、構わずに岩崎はピンク色のバイブをパクりと口に咥えた。
「んぁ、こふぇふぁ、ふぉくふぁくぁんふぁいふぁ」
「なんて?」
 一度ちゅぱっとバイブを口から離す。
「こうじゃねえな。これじゃ不自然だ。鮎川、ちょっとこれ持って立って」
「は!?」
 驚く鮎川の手に、バイブを握らせる。そのまま、角度と高さを調整する。必然的に、鮎川の股間近くにバイブが置かれる。
「うん、この位置だな」
「ちょっと!?」
 戸惑う鮎川を無視して、今度は先端に舌を這わせる。先程はいきなり咥えてみたが、歯が当たってしまった。
 舐めるように、ゆっくり咥内にバイブを沈めていく。
「んむ、ん」
 くぐもった声が、唇から漏れる。唾液が勝手に溢れて、唇から漏れだした。
(ほれみろ、結構簡単じゃん)
 そのままゆるゆると、喉奥までバイブを咥え込む。少し苦しいが、無理ではない。
「っ、岩崎……」
 鮎川が、赤い顔で岩崎を見下ろす。
(このまま、動かして……)
 咥えたまま、前後に動かす。唾液のせいでちゅぷちゅぷと音が鳴る。予想通りだ。全然、難しいことなんかない。歯だって当たっていないし、深く飲み込むことだって平気だ。
(余裕じゃん)
 ぷは、と息を吐き出し、バイブを口から取り出す。思いのほか唾液が溢れて、唇と顎を濡らす。
「ホラ見ろ。全然、余裕だわ」
「っ、きみは、バカなのか?」
 動揺した様子の鮎川を見上げ、ふんと鼻を鳴らす。鮎川の耳が赤かった。
「でもさっきは歯が当たっちまった。角度の問題か? ちょっと横になれ」
「はいっ?」
 鮎川の肩を押し、ベッドに押し付ける。何をしようとしているのか解ったらしく、鮎川が上体を起こした。
「寝てろって。位置がずれる」
「僕は何をさせられてるのさ!?」
「こっちのが難しいかも知れん」
 鮎川は何か叫んでいたが、無視して再びバイブを呑み込む。垂直に呑み込まなければならないのが、思いのほか難しい。
「う、んぅ」
「っ……」喉の奥に。
(これで、根元まで……ちょい、キツいな)
 だが、無理なわけではない。やはり、出来ないのではなく、やりたくないに違いない。そう結論づけようと、上下に唇を動かそうとした時だった。
「――っ!」
 不意に鮎川が、手にしていたバイブをグイと動かした。喉奥を突き上げられ、鈍痛と苦しさに顔を背ける。
「ぐっ! げほっ! げほっ!」
 反動で、咥えていたバイブが床に転がり、ゴトッと鈍い音を立てた。唾液にまみれていたせいで、床が僅かに濡れる。
「このっ……何しやがるっ!」
「ごめん、ごめん。大丈夫? つい……」
 つい、じゃねえよ。そう思いながら睨み付け、唇を拭った。
「喉の奥が痛え……。まあ、出来るのは解った」
「……岩崎は出来ても、女の子はもっと口が小さいんじゃない?」
 鮎川の意見に、岩崎はムッと顔をしかめた。
「女の方が口が小さいなんて、幻想だろ」
「そうは言ってないけど……個人差があるというか……。嘔吐反射ある人も、ね?」
「……」
 真っ当な意見に、反論できず黙り込む。
(でもコイツ、バカにせずに聞いてくれんだな……)
 岩崎はようやく頭に血が上っていたのが落ち着いて、溜め息を吐き出した。
「まあ、とにかく少なくとも俺には余裕だったわ。これであの女をバカに出来る」
「それは、何よりだよ……」
 そう返事をした鮎川は、酷く疲れているように見えた。


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